パソコンで学ぶことができる経済学入門書

深谷庄一

1.教科書の付録ソフト

 アメリカというところは教材が発達していて、教科書にはOHP用トラペアやビデオなどがそろえられており、パソコンの普及ともあいまって、パソコン用ソフトが付属あるいは別売りされていることが珍しくありません。かなり前になりますが、私はそのような付属ソフト(Samuelson & Nordhaus,"Economics"(McGraw-Hill)付属"Interactive Economics Graphic Tutorial")のレビューを書いたこともあります。このソフトは今でも、McConnell & Brue,"Economics"(McGraw-Hill)の付属ソフト"Interactive Key Graphs Tutorial Software"として売られているようです。

 最近、積極的なのは J.Stiglitz,"Economics"(W.W.Norton)でしょう。"Stiglitz Tutor"というソフト(IBM-PC用、Mac用)が付いた版も別売りされています。1993年に作られたもので、後から出ただけあってサミュエルソンの教科書付属ソフトよりはかなり進んでいます。小テストも付いていますが、主にシミュレーションを主体にしているようで、範囲はマクロ・ミクロ経済学双方におよびます。ただし、詳細なものとはいえず、主要なトピックスを選んだものです。カーソルキー主体ですが、インターフェイスは専門家の作品を思わせます。

 出版社に問い合わせたところ、この教科書は今年度第2版が予定され、先のソフトは"Norton Presentation Maker"というCD-ROMに発展的解消をとげるようです。その概要はインターネット(STIGWEB(http://www.wwnorton.com/Stiglitz/)に公開されています。その中には Macromedia Shockwave でアニメーション化された(女性の声での説明を含む)図やシミュレーションのサンプル(一部の章のみ)が含まれています。ただし、シミュレーションといっても、コンボ・ボックスからパラメータを選んで、たとえば需要曲線のシフトの結果(均衡点の変化)を見るというかなりプリミティブなものです。Windows用になりグラフィックスは格段にきれいになっています。しかし一般市販にはならないようです(Available to qualified adopters)。

 Windows用・Mac用ソフト(MacroSolve)が付属するのは、Hall & Taylor,"Macroeconomics:5th ed."(Norton)です。マクロ経済学は現実のデータに結びついているので、コンピュータ化しやすいともいえます。

 これとは別に、Norton社で注目すべきは Wall Street Journal の記事と教科書の説明を関連づけて論じた Economics in the News です。新聞記事に報じられた現実の時事問題を、教科書的にどう説明できるかを論じたコラムです。常に新しい事実に対応できるという意味で、発表の舞台をインターネットに置いたのでしょうが、革新的試みだといえます。ただし更新はそう頻繁ではありません。

 日本ではどうでしょうか。主要な教科書にパソコンソフトが付属しているということは寡聞にして知りません。その種のソフトは個々別々に作られ、書物の付録として売られています。日本評論社のカタログにも、

などが並んでいますが、前二者は経済学そのものの理解というより経済データのパソコンによる分析が主な主題で、パソコンで経済学を学ぶ(Computer Aided Learning)というものは拙著があるいは唯一のものかもしれません。とくに、ミクロ経済学全般を扱ったものは他に見当たりません。

 この種の試みとしてはたとえば久保真彰編『マイコンによる経済学』(青木書店)梅原嘉介『入門|コンピュータ経済学』(日本評論社)といった先駆的な書物もあったのですが、コンピュータ環境の変化はすさまじく、あっという間に陳腐化されてしまうのがつらいところです。言語はBASICというのも、今日では懐かしさを感じさせます。ということでこの種のソフトは全般的に古いとの印象が否めません。

 上述のとおり、アメリカでも最近やっと Windows ソフトになりつつあるという状況です。現在、Windows 97 の声も聞こえている時代に、せいぜい DOS 用のソフトしか作られていないことは、ある意味で、大きな需要がないことの現れでしょう。DOS は、ほぼどこでも(エミュレーションでマックでも)動きますから十分だともいえますが、要するに必要性がそれほど認識されていないようです。あるいは、ソフトを作成するコストに見合った利益を期待し得ないのでしょうか。

 しかし逆に言えば、この分野は飛躍的な革新の機会を待っているともいえます。以下では、オンライン(ネットワーク上)、およびオフラインでのパソコンによる経済学学習手段の現状を少し詳しくみていくことにします。

2.サーフィンするにも波がない

 パソコン通信などから移り変って、現在インターネットが華やかですが、そのユーザー・インターフェイスは、はっきり言って obsolete です。昔は CPU が遅かったのですが、今は通信速度がネックになって、結局昔のインターフェイスが復活(?)しています。よく言えば対話的ともいえる(CGI)のですが、車を運転するような直接的な反応は期待できないのです。

「ユーザー・インターフェイス・デザイン」(Alan Cooper,"About Face:The Essentials of User Interface Design",IDG BOOKS)(翔泳社)でアラン・クーパーは、GUI(Graphical User Interface)の核心を次のように述べています。

「ユーザーは、ソフトウエアに尋問されるより、自動車を運転するようにソフトウエアを操作したいと思うのである。自動車はダイアログボックスを一度も出さないし、ユーザーには無限の選択肢が与えられる。」

 インターネットの WWW は、見かけはグラフィカルなのですが、本質的にダイアログ利用のインターフェイスです。通信技術やJavaなどのソフトウエア技術によって将来は変わるのでしょうが、ローカルマシンでの操作とのギャップが大きく、現状ではイライラさせられることが多いのです。

 今のところインターネットでの情報発信はデジタルパブリッシングという分野で威力を発揮しているといえるでしょう。データや文書のデジタル化です。それを読むか、ダウンロードしてローカルで見るのです。サイトによっては、かつてとは比べものにならないくらいのデータが公開されています(日本では総務庁統計局が最近積極的です)。白書や国民経済計算年報等もCD-ROM化されて販売されています。雑誌(Review of Income and Wealth,1885年)の経済データが付録フロッピーディスクで提供されたと喜んだ時代が夢のようです。アメリカのように経済白書を無料でインターネットに公開して欲しいという希望は残りますが。

 経済学の分野でも、情報のデジタル化が猛烈なスピードで進んでいます。たとえばアメリカ経済学会(AEA)の、Journal of Economic Literature という雑誌などは、雑誌全体がCD-ROMに焼かれて会員に送られています。検索をかけて自分にとって必要なところだけを印刷するという便利な使い方ができます。それも通常の書物並みのきれいな印刷が可能です。

 文字だけのテキストファイルならいいのですが、図表や数式が入るとそのフォーマットをどうするかという問題が出てきます。簡単なものならインターネットの Home Page での HTML でもいいでしょう(印刷には不向きで、図などは別に用意します)。従来は、数式に強い TeX の DVI 形式(図は不得手で別のツールが必要)、PostScript形式が広く使われてきました。最近アドビシステムズ社(Adobe Systems Incorporated)が開発した、PDF(Portable Document Format)がインターネット内に限らず標準ドキュメントフォーマットになりつつあるのか、AEA の CD-ROM もこの形式で配布されています。そのリーダーは各機種用が無料で配られ、日本語版もAcrobat Reader 3.0J Beta版がインターネットに公開されています(97年1月現在)。Adobe 社は PostScript よりこの PDF の方に力を入れているとも聞くほど、有力な汎用フォーマットになっています。この事は、書物や雑誌などをスキャナで取り込むのとは根本的に異なるデジタル化です。検索の容易性や編集・変換の可能性と出力の美しさとを両立させています。

 このように、デジタルパブリッシングツールの開発はこれからも急速に進んでいくでしょう。インターネットを覗けば、大学での講義録などが公開されているサイトを見つけることはたやすいはずです。数学やコンピュータ関係では、教科書や本をそのままCD-ROM化したものも販売されています。経済学でもそろそろ出てくるでしょう。あるいは出ているかもしれません。そうすれば、700-1000ページにものぼる重たい本を持ち歩く必要もなくなります。 さらには教科書そのものをインターネットで発表するという場合もあります。統計学ですが、UCLA Statistics Textbook、中級用経済学教科書として David D. Friedman,"Price Theory: An Intermediate Text"がお薦めです[注1]

3.まるで車を運転するように

 経済学をパソコン・ソフトで学ぶメリットはどの点にあるのでしょうか。

 私は従来から以下の二点を強調してきました。

  1. [色とアニメーション] 出版物ではコスト的に見合わない多色性が可能です。さらに、パラメータの変化に応じて各種変数が同じに変化する社会システムの動きを、静的にではなく動的に表現できるのです。単純な例では、生産量が変化すれば平均費用も限界費用も利潤もすべての変数が同時に変化します。同時に動くのですから静的な出版物では本質的に描写不可能です。コンピュータのモニタにはそれを表現できるのです。

  2. [数値化とシミュレーション] グラフを数値化してシミュレーションが可能です。

     たとえば、スキャナで読込んだ文字は単なる「絵」で、それを加工したり動かすことはできませんが、OCR(光学的文字読取)でキャラクタコードに変換すれば検索、編集、変換(たとえば声にも変換できます)が可能になります。このように、文字をキャラクタコードに変換・デジタル化することで、情報処理が格段に進むわけです。

     同じように、経済学のグラフも単に図と見るのではなく数値化することでシミュレーションが可能になります。たとえば経済学では関数の関数(需要関数は効用関数の関数)が多いのですが、その多くは解析的にとけないのもです。たとえばギッフェンのケースをもたらす効用関数を陽表的に求めることはできません。任意に描いた曲線を、その座標を読み取って数値化すればシミュレーションが可能になります。任意の無差別曲線から需要曲線を導き出すことができるのです。

 以上の具体的表現が拙著『コンピュータ・エコノミクス』なのですが、DOS環境がすたれつつある現在では、やや古くなってしまいました。ただ、続いて発表した統計学のシミュレーションソフト(深谷庄一『パソコン統計学』日本評論社)は、Windows 95/NT に移植して、現在インターネットで公開中(http://www.asahi-net.or.jp/~QJ5S-FKY/)ですので、興味のある方は覗いてみてください。こちらの方は先に引用したクーパーの教えを目指したオブジェクト指向の作品です。経済学用のソフトもいずれは Windows化されるでしょう。

 最近知ったのですが、イギリスでは8つほどの大学がコンソーシアムを作って、40人年の労力を費やした、WinEconが発表・販売されています。詳細は未見ですが(サンプル版をダウンロードできます)、ある意味で決定版かもしれません。

 海外を見渡せば、マッキントッシュ用を含めてネットワーク上のオンライン・ソフト(フリーソフト)もたまに見受けるのですが、(言葉は悪いのですが、作者が得意なところをつまみ食いした)断片的なものにとどまるものが多いようです。例外的に、PC-98用ですが、Nifty-serve に Upload された、猪熊権八(本名ではないようです)氏作の"ECOnoMIX"は、マクロ経済学全体を網羅しています( 拙著『パソコン統計学』付属CD-ROMに収録)。アメリカで作られたものに比べると、日本の方が全般的に内容が高度で、多岐にわたっています。これは大学教育の現状を反映していると思われます。

 経済学プロパーではありませんが、ソフト付き(あるいは別売り)の本としては他に、吉野・高橋『パソコン計量経済学入門』(多賀出版)や跡田・中村・伴『パソコン統計学』(有斐閣)もあります。

 その他、ゲームもどきの株式投資や会社経営シミュレーションのソフト、あるいは多人数のクラスでオークション市場を模擬的に実践するソフト(アメリカではよく見かけ、ほとんどは無料)などがありますが、本当に役に立つのかは保証しません。たとえば、以前『マンガ日本経済入門』(日本経済新聞社)をアドベンチャ・ゲーム化したソフト(ツァイト、1990年)を試したこともありますが、ゲームとしてはやさしすぎ、テーマには時期というものがあるので中途半端に終わってしまったようです。現在は英語学習ソフト『英語でしゃべる電子ブック マンガ日本経済入門』になっています。ゲームであれば「シムシティ(SIM CITY)」などのシミュレーションゲームの方をお勧めします。


「経済セミナー」(1990年8月号)より

 グラフィックスというので、本プログラムでいうシミュレーションをするのかと思いましたが、そうではなく本質的にドリル形式です。図を見ながら、さまざまな設問に答えていくものです。最初はX−Y座標上にある点を示して、その点のX座標を数値で答えさせるという、高校生あるいは中学生レベルの問題から始まります。ただ毎回設問に答えなくても、リターンキーを押すだけで解説つきで進んでいくことができます。この方式は私の作成したシステムの方針と合致しており、共感を覚えました。

 設問は専門家がつくっただけあって、小気味よく進んでいきます。経済学者とコンピュータ科学専門家の合作のようです。初歩から結構応用的な面まで広く網羅しています。ただしグラフィック画面は、ドットが粗いせいか、ほとんど幼稚といってよいほどで、ほほえましいくらいです。これはIBM−PCのCGAの解像度からいってやむを得ないところでしょう。

 CAIソフトの典型的なものですが、操作性は極めてよく、手に馴染みやすい、いわばお手ごろなソフトでした。


[注1]

Online TextBooks 補足

 David D. Friedman の教科書は中級用とはいえ、日本では初級用ともいえます。この本にもソフトが付いていて、その時の経験をつづったエッセイを書いています。

他に、初等教科書として、

などがあります。いずれも網羅的で大部の力作ですが、ページの切り替えが多すぎて煩雑すぎると思いました。マックで作るとこうなるのでしょうか?

 特殊領域になりますが、

などが有益でボリュームもあります。社会問題としてのネットワーク関係では に行くのがいいでしょう。

 他に面白いものとして、米大統領選挙を予測してくれる

多変量解析をしてくれる があります。

 公共経済学では

がかなり集めています。最初のページのサイズが大きすぎて、ロードに時間がかかることが難点です。細切れ過ぎても文句を言い、長すぎても文句を言うのですから勝手な話ですね(^^;

 統計学の教科書としては、

があります。

1997/03/03

「経済学講義」目次へ

to Home Page