秩父神社例大祭に笠鉾・屋台を曳行する6つの屋台町会の一つ、中町町会では、屋台蔵に眠っていた江戸期の古文書「中町屋台永代帳」が解読され、平成17年2月、「中町屋台永代帳(上巻・下巻)」として刊行されました。

中町屋台永代帳(上巻・下巻) 中町では毎年、その年の祭礼でかかった諸費用や出来事などを記入し、屋台永代帳として保管してきましたが、これまで、明治以前の永代帳は、明治11(1878)年3月21日の大宮郷の大火で焼失したと考えられていました。

 平成11年(1999)、故・柳武象さんが会長を務めていた「中町古文書調査会」(平成9年発足)が屋台蔵の3階にあった木箱から、江戸後期から明治にかけての永代帳を発見。永代帳の激しい痛み、ボロボロの表紙、膨大さに驚きつつ、月2回の勉強会が開催され、平成15年春、解読と刊行を決定。その後、秩父市古文書研究会の協力を得て、ついに平成17年2月、刊行にこぎつけたのでした。

 中町屋台永代帳に記録されている期間は、文化10(1813)年から明治14(1881)年までの69年間。その範囲は、中町町会の金銭収支、祭事全般、諸行事などの町内の事柄はもとより、黒船来航や武州一揆など国内の出来事にまで及び、分量は788頁になります。

 新たに判明した興味深い事実もあります。

 文政10(1827)年、籤引きによりこの年は下郷、宮地、中町の3町会の組が祭礼を行い、中村、上町、本町の組は休み。この年以降、付祭りは2組に分かれ、隔年で屋台行事を行うようになりました。そして、明治9(1876)年、6町会が相談の上、再び6町会が揃って付祭りを行うことになりました。この50年の間、屋台行事は6町会を2組に分け、交互に執行されていたことが判りました。

 また、6台の曳行が復活した明治9年には、6町会が相談の上、御旅所下の地蔵川に本町にあった高札の石を切り、石橋を架けたという興味深い記述も見られます。

 本書は、その主要部分である付祭りの歳費明細のほか、江戸から明治への地方行政制度の著しい改変や通貨の改革による混乱など、明治維新の激動期に付祭りを守ってきた中町町会の人々の動きが克明に書き留められ、中町だけでなく秩父神社例大祭全般の歴史の空白を埋める貴重な記録となっています。

 付祭りに関する多くの歴史的資料が散逸し、朽ち果てるままとなっている現状に対し、地元行政による記録、保存が期待できない状況の中にあって、一つの町会がその保存と解読、刊行に自力で取り組んだ功績は、高く評価することができます。

(2005年 7月 3日  中村 知夫)

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