笠鉾・屋台で目を引くのは、やはり豪華な屋台彫刻です。

熊谷宿・写真上 秩父地方の笠鉾・屋台に彫刻が本格的に取り付けられるようになったのは、寛政12(1800)年以降と言われ、日光東照宮の造営に携わった彫刻師は、関東各地に拠点を構え、寺社彫刻はもとより、屋台彫刻に技を広めていきました。

 その中で、秩父地方の屋台彫刻に多くの事績を残した彫刻師の集団として、
飯田岩次郎ら「飯田一門」(熊谷宿・写真上)や小林栄次郎らの「小林一門」(玉井村(現熊谷市玉井)・写真中)が挙げられます。

玉井村・写真中 笠鉾・屋台の建造は、設計から施工までの全てが秩父で賄われたと考えられがちですが、屋台彫刻は、秩父以外の彫刻師の集団が請け負っていました。この点で、『秩父神社例大祭屋台とその沿革』(昭和35年秩父屋台保存委員会)以降の笠鉾・屋台に関する論稿は、関東一円に渡る広い視点から、屋台彫刻を系統的に整理することを怠っていました。

 特に、
小川専蔵(写真右下)は、秩父地方の屋台彫刻に優れた事績を残す彫刻師です。中山田(山組)屋台の彫刻の裏には、「大里郡川原明戸村小川専蔵」の墨書を残しています。にもかかわらず、秩父ではだいがしらの仙蔵と、まるで時代劇の悪玉のような名前で伝わり、彫刻師の系譜にない状態でした(「この仙蔵についての記録は残されていない。」(「秩父祭屋台」昭和38年秩父市教育委員会))。

 秩父地方の笠鉾・屋台の屋台彫刻を考察するには、関東全域を視野に、彫刻師とその作品の系統を把握する必要があります。近年、鋭い見識眼を持つ千島公一氏(秩父市文化財保護審議委員会委員)の精力的な調査により、江戸から昭和に至る
彫刻師とその作品の系譜が解明されてきました。

 祭りを訪れる目的や楽しみ方は、人それぞれです。

 それでも、今度秩父の祭りに行くときは、笠鉾・屋台から鳴り響く屋台囃子や打ち上がる花火の迫力、沿道の人混みの喧噪から一歩下がって、笠鉾・屋台に取り付けられた
彫刻類に目を凝らしてみてください。

 彫刻師達が魂を打ち込んだ作品の発する力に、魅了されることでしょう。

※写真右上 中町屋台後鬼板彫刻・弘化4(1847)年 飯田岩次郎
※写真左中 小鹿野春日町屋台彫刻・明治5(1872)年 小林栄次郎
※写真右下 中山田屋台前鬼板彫刻・嘉永3(1850)年小川専蔵


 【参考文献:千島公一「秩父の屋台と笠鉾・寺社彫刻」小鹿野町生涯学習講座】

                             
 (2020年8月10日 中村 知夫)
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