芳香太さんの「へちま日記」

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《ご挨拶》

芳香太さんは某商店街で家業を継いだ三代目としてご活躍中です。今月(2000年11月)より毎日の多忙な業務の合間をぬって「へちま日記」をゲストブックに寄稿中です。このページではそれらをまとめて転載致しました。ご感想やご意見、激励の言葉などはゲストブックにお願いします。なお最新のお話は(こちら)へどうぞ。



第1話:スタートのご挨拶

はっちゃん改め芳香太にします。ファイト!さんの雑感シリーズに感化 され、小生もへちま日記を始めようかと思います。おもしろくない、 けしからん等々のブーイングがありましたらひっこみますのでよろし くお願いします。

 シドニーオリンピックも終わり、旧聞になりますが、あれから、 Qちゃんは、賞をもらったし、ヤワラちゃんも賞をもらった。そこで このあいだからおもっているのですが、井上康生もなぜ、もらえぬか と思うのです。彼の、パフォーマンスは、本当ならやってほしくなかった。 表彰台で、お母さんの遺影などあげないで、静かに自分の思い、喜びを、 墓前で誰にも知られず報告してほしかった。彼は、おかあさんは、わたし の恋人だとまでいった。騒ぎ立てるのはいいけれど、これって、マザコン っていうのとちがう。独身なら、本物の恋人みつけようよ。がんばれって いいたいね。だから、このクサさに、ぜひ賞をあげたいんだ。

これから、ちょっとおかしいよ、ばかーっていわれることをつれづれに、 考えていきたいと思う。

(2000年11月6日)




第2話:森内閣の不支持率

芳香太と書いて、ほうこうたと呼びます。便所場の芳香消臭剤のよう に、いい香りではないけれど、臭いこの世の中に何か快感を与えられたらいいなと思い即興でできました。

今朝の日経に、森内閣不支持、71.5%の見出しがあったので、 最初に森総理を、おちょくってみようと思う。森内閣が、発足したとき、 マスコミは、いっせいに総理をノミの心臓と揶揄した。芳香太は、それ だけでは不満で、ノミの脳みそというのを献上したいとおもっていた。 案の定、無知無定見ぶりは、世の中の知るところとなってきた。

だいたい、一国の総理たるもの、しかるべき見識をもっていて、国民に安心と 幸福を与えねばならないものなのに、どうもかのお方は、体育会系の ノリが忘れられず、政治をチーム活動としかとらえられず、ご自分が 一歩も二歩も強力な権限が与えられておられることを認めたくはないよ うである。学生時代のラグビーチームそのままで、ガッツでのりきろう と、チームのキャップテンのつもりらしい。そして、我が内閣は、一丸 となってやってきましたと、チームプレーを強調し、辞任に追い込まれ たら、甲子園の球児たちのように、官邸の土を持ち帰るつもりだろうか。 帰ったら、郷里のひとたちに歓迎されて、老後は「おれ、総理大臣やっ てたんだぞ」と自慢しまくる生活を考えておられるのだろうか。

それが証拠に、人に会うのに一番時間をさいているのは郷里関係者だ、とサンケイ新聞が報道していた。あーあ、しっかりしてくれよー。

(2000年11月7日)




第3話:Who are you?

うぐいすさん、末席からいわせていただきますと、学校は、勉 強するところだと考えないことです。師匠を、自分なりにアレンジ して求めて行って磨いていく訓練をしていくといい人生になると 思います。誰にも長所短所があり、学校の先生はいいこといって いるようだけど世間知らずでいざとなったら、役に立たないことが 多い。勉強は学問だけでないですから。ただ、一流の人物は、どの 世界でもすばらしくそれを見習ったりまねたりして向上されるのを おすすめします。

 前回森総理のことを書いたが今度ももう一回。沖縄サミットのこと 。総理は、ITのことを、「イットって何?」と尋ねたそうである。 さて、クリントン大統領に会うことになった。彼は、得意の(?)英語 を披露しようと思ってきりだした。「How are you?」と いうところを、「Who are you?」といった。クリントンは、 だまりこんでしまい、そしてこういった。「ヒラリー夫人の夫で す。」と。すると、総理は、すかさず言った。「I’m 総理。」 そういう話がある関係筋からあるそうである。

(2000年11月9日)




第4話:ちょっとジョークでも

きょうは、通説になっているジョークとそれの考察。

 船が海のまんなかで、難破した。女、子供、老人をのぞいて、男  は、船から下りることになった。

まず、ドイツ人に、「これは、規則だ」というと、それに従った。 イギリス人には、「あなたは、紳士だ。」というと、黙って従った。 アメリカ人には、「あなたは、ヒーローになれる。」というと、 ガッツポーズをあげ、飛び込んでいった。最後に、日本人には、 「みんなそうしてますよ」というと、まわりをキョロキョロさせて 飛び込んでいった。

 ここでいう、日本人の、「みんな」ということばは、all of ~ でもall ~でもない微妙な表現であることに気がついた。 それは、ある種の方向を示す高度な価値判断を、集団の意見、 表現の統一見解として、まとまった形となってしまう、日本人 特有の意思表示だといえないか。これが、抑制がきかない時は、 マスとなり、見えない怪物となって暴れ出す。先の大戦も、統帥権 が、憲法に定めてないことを盲点に、時代の空気となって、軍部 に暴走を許すことになった。いまは、自由という名のいいかげんさ が、規律をゆがみに変えてしまった。血を見る前に、日本人の良心 を信じたい。

 風間れい先生、「雷鳥日記」を、小生も楽しみにしてます。 しかし、私は唯我独尊、張り合おうとは思いません。批評、反論 どんどんお願いします。

(2000年11月14日)




第5話:子供の躾を考えると・・・

おはようございます。スクロールできなくなって、せっかく考え たのをすぐ、取り消されちゃうのじゃないかと心配しながら、きょ うも一言。

 私事に関して恐縮だが、父が亡くなって、法事をする事になった。 宴の席では、座席に無礼があってはいけないと、席に関して母と相 談していた。そこへ、高校生の姪がやってきて、一言、「そんなん えーやん、どっちでも。」そうだなあ、どっちでもいいかと、その 時は思った。でも、待て、父の遠戚の人や、親族などさしおいて、 もてなしが不充分なのも失礼にあたる。意を決して、姪にいってや った。「これは、おじいさんの関係も大勢いる。おまえだけのため のもんでない。」姉夫婦は、核家族で、一家の発言権は、姪が中心 であるようだ。

 子供の世界も、大人の世界もいっしょではある。子供だからとい って軽く扱うことはできないことは承知している。しかし、大人と 子供とは、社会でのかかわり方が、違う。高校生だから、何も知ら ないとは、思っていない。しかし、大人は、利害関係で、左右され たり動いていることが、あまりにも多すぎる。そういう複雑さの 荒波に、子供等は、まだ飲み込まれていない。

 あえて暴言を承知でいえば、世の中の秩序は、力関係である。敬語 を使い、年輩者を敬うのは、そこにきちんとした力学が働いているか ら、機能するのである。

 しかるに、この姪のわがまま勝手を通り越した傲慢ぶりは、驚愕 するばかりだった。なにも、うちの姪ばかりではあるまい。よい学 校、よい会社、よい結婚とひたすら一直線に、よいことばかりをお 手軽に走り続けてきた世代が、子供まで、自分の理想と同じように することはできない。少年法改正も、人の問題である。人にあわせ て法を作るのは、人治主義である。しからば、はしごをはずされた 日本国憲法だけが、じっとしているのも不思議な問題だし、人が 変わったら機能しない法律も、次元が低いといえないだろうか。

(2000年11月17日)




第6話:介護保険の落とし穴

 介護保険制度が、今年から始まった。お年寄りを、社会全体で 見ようと言ったのは誰だろう。討論会では、料金、質の問題、サ ービスの選択などばかり議論された。

 みなさま、誠に善人で、心構えはよろしい。ぼったくりは、知ら ない土地や場所でおこなわれる。介護保険の認定を受けるために、 収入、財産、家族構成、そしてそれぞれの所属先まで、役所は、把 握している。当然、昨今のことだから、情報は、知らないところで 知らない人に漏れてしまう。

なぜ、介護が必要かといえば、家族でお年寄りが看られないから である。放ったかされるから、頼むわけである。そうして、そんな わけだから、受ける方は、どうしても心のケアが必要になってくる。 話し相手がほしいから、せっかくきてくれた人が、帰ってしまって こなくなってしまうことが恐い。

 みなさま、善人ばかりでない。甘い言葉で喜びを与え、そうして 狡猾にハゲタカのように、むさぼり取ろうとするのは、当然の成り 行きだ。その悪事を、表沙汰にできるほど、当人に元気はない。 言われるままに、身をまかさねばならない。ましてや、一人暮しの お年寄りは、どこへも相談できない。親族が訃報を受けて駆けつけ た時には、ふとん一枚だけになって、亡くなっていたという話しは 保証されない話しではない。ねえ、寒くなりませんでしたか。お体 大切に。。。。

(2000年11月20日)




第7話:小商店の話

 先日、車の調子が悪いのと、自動車の保険が切れるので、行きつ けのモータースへ行った。リストラで、年輩のSさんはいなくなったが、若いTさんが、指揮をとってかいがいしく働いていた。いつも、雑談などして帰る のだが、日に日にそれは感じていたが、様子がおかしい。Sさんが いた頃は、時間に頓着なかった。

しかし、最近はゆっくりもしていられなくて、おいたてられるようになった。Tさんは、直情的で、どうし ようかなあという余裕を与えてくれない。女将さんは、保険の入金 を振り込みにしてくれという。保険内容も、外資に押されて、料金 に広がりができてよくはなった。しかし、こっちは、しめた!と思 った。いつも、アフターケアをしっかりやってくれて、全部まかせ ていられたが、それならば、もっと安くて保証の大きい有利な外資 の保険へ、そして、車のケアは、安いところへとシフトしてもいっ っこうに、不義理は、感じないですむ。そうやって、小さいところ は、つぶれていくのだなあ。

 でも、過当競争で、元気があるうちはいいが、効率をよくして、 利益を薄くしたら、薄いのがあたりまえになったら、人間は何の ために生きているのだろうという疑問が起こるはずだ。昔、松下 幸之助さんと、中内功さんが、論争した。松下さんは、利益をたく さんとって、効率をよくするのが正しいと主張し、中内さんは、ど んどん安くして、薄利多売を主張された。  時代は、松下さんを、応援している気がする。

(2000年11月26日)




第8話:役所の仕事

師走といえば、忘年会がつきものだったけれど、このところ、夜 出歩くこともないですね。考えてみるに、役所というところは、元来 渋チンだったのに、これが気前よくなったから、世の中がおかしく なってきた。人の金(税金)で、仕事をつくって分け与え、取引き 業者は、子羊のようにおとなしくなった。

何が悪いかといえば、そうして仕事をつくるのが悪いのではなくて、 それに感動しなくなったことが、悪いのだと思う。 橋ができた。できる前までは、この海を、自由に行き来できたら、 何をしようか、どんなに便利になるか、その感動は昔ほど、大き かったと思う。それが、簡単に、ビジネス、観光とかそういうパタ ーンにおしこめられ、創造するというイマジネーションが、少なく なってきた。役所はそういう熱い思いに、ものものしく便宜を与え 支援した。それが、自分勝手なルールだけは、温存し、予算をはきだ すことに、四苦八苦するようになってきた。21世紀は、そのツケ がまわってくる。

役所が開催するセミナーは、自画自賛的要素が強くて、身内ばかりが 出席している。そんな予算を、即却下するような、スリムな政府に 来世紀は、期待したいのだが。

飲み屋のねーちゃんの黄色い声の飛び交う、景気のよい師走の頃が くるように。「ハーさん、きょうは、早いん!」「ケーキのいい話 か」。

クリスマスケーキは、お早めに注文しましょう。

(2000年12月15日)




第9話:へちまの嘆き

こんにちは。ちょっとうろうろしながら、年末のカキコの話題は、 どうなったんだろうと、しつこく楽しみにしています。景気判断で すが、どうもasktakaさんは、楽観的すぎるんじゃないかなあと、 このところ思っています。きっと、つきあっておられる方が、やり てで有能なかたばかりなのでそう思われるのじゃないかと思うの です。

 経済、社会は進歩するといっても、大多数の人間は凡人です。だか ら、一部のエリートが正しい方向で私欲を離れ、一丸となって進み、 平均的な人間がそれに堂々とついてくれば、過去の栄光はとりも どせそうだけれど、実際はそうはいかないでしょう。だいたい、その一 部のエリートというのが、あやしくてはどうにもなりません。そして、 未来を若者に託すなんて呑気なことを識者も評論家も学者も言ってる けれど、そんなこといえるでしょうか。

 街を歩けば、南洋の土人みたいなのが、耳輪をして、髪の毛は、 欧米人のまねをしてナンバの毛のように染め替え、ロシア人のまね なのか厚底のブーツをはいて、へんな国際化をしているへなへなの あいつらに期待できるだろうか。団塊の世代以降の人間は、ひとに 頼らず、健康に注意して生涯老害とののしられようが、現役で活躍 するに限ると思うのです。

 かつて、子供たちに、生きる力を身につけようとなどと呑気なこ と政府がいいましたが、芳香太など笑ってしまいました。おぼれる 者藁をもつかむと申しますが、大人でも子供でも困った時は、誰 も悩み、解決しようと全力を出します。だから、とりたてて申す ことではないでしょう。いいたいですね。あなたは、どうなんで すかと。不正と分かっていても、力の強いもの、勢力の強いものの いいなりになるのですかと。

そんなこんなを考えてみますと、景気回復も精神的なれあい主義 を脱却して、正しいことが、一部の権力者による屁理屈による障害を 克服して、いいことをした人がきちんと評価され、ちゃんと認められ る社会にしないといけないと思うのですが、どうでしょうか。

(2001年2月3日)




第10話:総裁選について一言

総裁選にかけて、動き出した。あんまり誰が選ばれようが、興味 はないけれど、思うところひとつ。橋本氏が、総理になったときは、 あれは、クラス委員だなと直感的に感じた。そのあと、小渕氏がなっ たときは、クラスの議長が、クラス委員にもちあがったくらいに感じ た。なんだ、学校ごっこじゃないか。きれいごとばかりいっていて、 自分では、なにひとつ恐くて組織にメスが、いれられないじゃない か。その様相は、だんだんはっきりしてきて、今回は指導部員{体 育部、保健部、厚生部など}のもちあがり。いよいよ、頼りなくなっ てきた。クラス委員や、生徒会役員などは、おもては立派だが、PT A、教師、教育委員会などがひかえていて、なにひとつ思う事なんか できないじゃないか。すなわち、地べたにはった、路頭のなかから、 はいあがってきた政治家でないから、本当のなにが悪で、なにが善 なのかは、わからないんだと思う。わかっていれば、債権処理など、 とっくに解決しているはずだ。 評論家ばかり多くて、船頭多くして船山にのぼる。失礼しました。

(2001年4月10日)




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