わんだふる パタゴニア(アルゼンチン&チリ) (5)


  1.プロローグ 
  2.パタゴニアへ(往路) :                    2月3日(月)〜6日(木) 
   2.1 東京からブエノスアイレスへ :               2月3日(月)〜5日(水)

   2.2 ブエノスアイレスからエル・カラファテへ :        2月6日(木)
  3.氷河国立公園観光(エル・カラファテ) :          2月7日(金)
  4.エル・カラファテからパイネ国立公園へ :         2月8日(土)
  5.パイネ国立公園ハイク、そしてプエルト・ナタレスへ  : 2月9日(日)
  6.プエルト・ナタレスからプンタ・アレーナスヘ :       2月10日(月)
  7.プンタ・アレーナスからウシュアイアへ :          2月11日(火)
  8.フェゴ国立公園観光(ウシュアイア) :           2月12日(水)
  9.パタゴニアから東京へ(復路) :               2月13日(木)〜15日(土)

   9.1 ウシュアイアからブエノスアイレスへ :          2月13日(木)
   9.2 ブエノスアイレスから東京へ :               2月13日(木)〜2月15日(土)


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8.フェゴ国立公園観光(ウシュアイア) : 2月12日(水)

 今日はパタゴニアでの最後の観光となりました。初日の飛行機のトラブルも、もう遠い過去の話のように思え、すっかりパタゴニアの魅力に満足しきっています。朝6時に起床し、窓から外を見ると、天気はよいようでした。食事まで少し時間があったので、ホテルの周りを少し散策しました。ホテルは高台にあるので、ビーグル水道(Beagle Channel)がよく見えました。対岸はチリ(Chile)領です。朝食をとって、8時30分にバスに乗って出発しました。

 まずは、「世界の果て号」という蒸気機関車に乗ります。観光客には大人気の機関車で、早く行かないとなかなかうまく乗れないので、早めに出発したのだそうです。15分ほどで、出発駅に到着しました。話のとおり、駅前は大勢の観光客で混み合っていました。駅舎内も列車を待つ人で大変混んでいました。ガイドがてきぱきとチケットをゲットしてくれたおかげで、9時45分発の蒸気機関車に乗ることが出来ました。運が悪いと、蒸気機関車ではなく、ディーゼル機関車になることもあるそうです。蒸気機関車はちっぽけなおもちゃの機関車のようで、客車も木造の簡素なものでした。この鉄道は、囚人を運ぶために囚人を投入して作った鉄道だそうで、昔は「囚人列車」とも呼ばれていたそうです。途中で1か所プラット・フォームがあり、そこで15分ほど停車します。乗客はそこで降りて、まわりを散策することが出来ました。およそ1時間で、終着駅に到着しました。まあ、観光としてはなかなか楽しかったです。

ウシュアイアの朝 ビーグル水道越しのチリの山 「世界の果て号」出発駅 「世界の果て号」出発駅舎内
出発準備中の「世界の果て号」 途中の景色(車窓から) 途中下車中に「世界の果て号」と 途中下車地点からの景色

 この後、バスに乗り、ティエラ・デル・フェゴ(Tierra del Fuego)国立公園内を巡りました。この公園は、東京都の1/3ほどの面積があり、南極ブナが生い茂っているそうです。エンセナダ湾というところでは、「世界最南の郵便局」が開局されていて、観光客が郵便切手を買い求めて、絵葉書を投函していました。家内も切手を貼って東京へ投函しましたが、比較的早く自宅に届きました。さらに、ラパタイヤ湾やロカ湖にも行きました。ラパタイヤ湾の駐車場が、北アメリカのカナダから延々と続く”パン・アメリカン・ハイウェイ”の終着点なのだそうです。それにしてもすごいハイ・ウェイですね。私は、ペルーで太平洋沿岸を走る”パン・アメリカン・ハイウェイ”の一部を通った経験があります。比較的よい天気に恵まれて、地球最南端の町の景色を楽しみました。

エンセナダ湾と「世界最南の郵便局」 ラパタイヤ湾 ロカ湖

 12時30分、レストランに到着し、昼食を食べました。レストランの庭ではたくさんの花が咲いていて、きれいでした。




レストランの庭の花1 レストランの庭の花2 レストランの庭の花3(ルピナス)

 次は、ビーグル水道のクルージングです。ウシュアイア市の中心地に近い、港の前の広場でまで行き、そこで降りました。我々が乗るクルーザー・ボートの出発が3時過ぎということで、30分ほどフリータイムとなり、広場の近くの中心街を散策しました。ギフト・ショップやレストランなどがあり、結構人通りは多かったです。街中で、右の写真のような壁画?が描かれているのを見つけました。アルゼンチンの歴史についての知識はまったくありませんが、虐殺された先住民が悲痛な叫び声を上げているように思えました。ただ、このような絵が、理由はどうかわかりませんが、市の中心街に描かれているのに感心してしまいました。日本の銀座で、日本人による中国人虐殺の絵が描かれることはありませんよね。


港前広場から見たウシュアイア市外 壁画?「虐殺された先住民が叫ぶ」

 3時過ぎに、再び港の前の広場に集合し、クルーザー・ボートに乗船しました。ボートは双胴船で、船の中はかなり広く、座席は余裕がありました。ビーグル水道は、太平洋と大西洋を繋ぐ水路であり、アルゼンチンとチリの国境にもなっています。このあたりの国境線は、アルゼンチンとチリの戦争の結果(アルゼンチンが勝利)によって引き直されたとのことで、とても不自然で複雑な国境のように思いました。3時35分にボートは出航しました。空は薄い雲が広がっており、ボートの外は風が強く、かなり寒く感じました。

ビーグル水道観光のクルーザー 船から見たウシュアイアの町 港湾内の船 ビーグル水道の灯台(引き返し地点)

 しばらくすると、小さな島が見えてきましたが、そこにはたくさんのウミウが休んで?いました。ちょっと見ると、ペンギンのように見えるのですが、すべてウミウだそうです。数え切れないくらいの群れです。とにかくすごいですね。ボートは、写真が撮れるように、島の周りで止まったり、向きを変えたりと、サービスをしてくれました。

 またしばらく進むと、今度はアシカの群れが見えました。こちらは、数ではなく、巨体がすごいです。こんな巨体が、丸太のようにごろごろと寝ころんでいるのは圧巻でした。アシカは、寝転んで一体何を考えているのでしょうか?何も考えていないのかな?うらやましい!

ウミウの群れ1 ウミウの群れ2 ウミウの群れ3 ウミウの群れ4
アシカの群れ1 アシカの群れ2 アシカの群れ3 アシカの群れ4

 3時間ほどのクルージングを終えて、ボートは6時30分に港に戻りました。とても満足したクルージングでした。これで、パタゴニアの観光は終わりとなります。初日はどうなることやらとやや不安な思いでしたが、ここまで無事に、かつ楽しい旅が出来たことで、とても満足感いっぱいでした。7時にホテルに戻り、夕食は8時30分でした。


9.パタゴニアから東京へ(復路) : 2月13日(木)〜15日(土)
9.1 ウシュアイアからブエノスアイレスへ : 2月13日(木)

 いつもよりやや遅く、6時30分に起床しました。今日は、世界の果てからブエノスアイレス、サンパウロ、ドーハを経由して東京へ戻ります。およそ2日間の旅となります。すごいですね!よくがんばりますね!と他人事のように思っちゃいますが、本当に疲れる旅です。7時15分に朝食をとりましたが、出発は10時45分ということで、しばらくホテルでゆったりと過ごしました。

 10時30分に、荷物を出し、チェックアウト後バスに乗りました。バスは予定通り、10時45分に出発、11時に国内線のウシュアイアの空港(右写真)に到着しました。今日の昼食はレストランというわけにはいかないので、空港内で配られたランチ・ボックスを食べました。12時30分にゲイト・インし、13時30分(東京時間:14日(金)深夜1時30分)に飛行機はウシュアイアを飛び立ちました。国内移動というのに、ブエノスアイレスまではおよそ3,000km、およそ3時間のフライトです。大きい国ですね。

 16時40分(東京時間:14日(金)早朝4時40分)にブエノスアイレスの国内線空港に到着しました。日本から到着したときのガイドさんが再び迎えに来てくれました。17時40分、迎えの観光バスに乗り、ブエノスアイレスの市内を走って、夕食のレストランに向かいました。途中、イタリアからの移民が多く住むボカ地区のカミニートという町に降りて、少し散策しました。ここはタンゴ発祥の地ということで、町はパステルカラーの明るい建物が立ち並んでいました。

 カミニート見学後、国際線の空港近くのレストランに行きました。19時にレストランに到着し、最後のレストランでの食事(ビーフ・グリルでした)をとりました。
ss
ブエノスアイレスのビジネス街 ブエノスアイレスのサッカー場 ボカ地区(カミニート)1 ボカ地区(カミニート)1


9.2 ブエノスアイレスから東京へ : 2月13日(木)〜15日(土)

 食後、近くの国際線空港に向かい、21時に到着しました。出国手続きをして、往路と同じカタール航空の飛行機に乗り込みました。もうトラブルはご免です。無事に東京まで運んでくれることを皆で祈念しました。13日(木)深夜の23時10分(東京時間:14日(金)11時10分)、飛行機はとりあえずブエノスアイレスを離陸しました。

 ブラジル、サンパウロには、現地時間14日(金)深夜2時40分(東京時間:昼の13時40分)に到着し、1時間30分ほど機内待機(乗客の乗降のため)をした後、現地時間4時10分にサンパウロを飛び立ちました。これからおよそ13時間を掛けて、大西洋を渡り、アフリカ大陸を斜めに横断して、カタールのドーハに向かいます。がんばれー!!

 ドーハには、現地時間14日(金)22時(東京時間:15日(土)早朝4時)に到着しました。ここでいったん飛行機を降りて、乗換えとなります。およそ3時間待たされました。深夜なので、食事は体に悪いと思い、何も口にすることなく、いすに座ってひたすら待ちました。ああ!苦痛だ!!新たに飛行機を乗り換えて、現地時間15日(土)深夜1時30分(東京時間朝7時30分、ブエノスアイレス時間では、前日14日(金)の夜19時30分です)に、飛行機はドーハを飛び立ち、最後の目的地(そうあってほしいと祈念するばかりです)に向かって飛び立ちました。およそ9時間30分のフライトです。もう少しだ、がんばれ!がんばれ!

 ようやく15日(土)16時50分、無事に成田空港に到着しました。今回は本当に無事に成田へ戻ってきたのだという実感がひしひしと湧いてきました。ウシュアイアを飛び立ってから、およそ1日と15時間経過しました。これで、今回のパタゴニア(アルゼンチン、チリ)のたびは終わりです。

 長い旅行記に付き合っていただき、ありがとうございました。


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