哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第10話

ドイツ美術館めぐり

改修中

ミュンヘンまでやってきた最大の目的はアルテ・ピナコテークにあった。直訳すれば古絵画館。中世、ルネサンスから近世までの絵画を集めている。ドイツではもっとも充実した美術館という評判だった。ところが、今回の旅行中は改修工事のために休館中であることが旅行前の情報収集でわかった。愕然。ただ、主要な作品は向かい側にあるノイエ・ピナコテーク(新絵画館)に展示されているという。仕方ない。行ってみよう。

デューラーの線

9月24日火曜日、ノイエ・ピナコテークへ行った。最初の部屋はアルテ・ピナコテークからの作品から始まっていた。ヴァン・デル・ワイデン、ヘラール・ダヴィッドら北方ルネサンスの画家たち。ボッティチェリなどのイタリア・ルネサンス。ディルク・バウツ、メムリンク、ホルバイン、クラナッハとつづいて、デューラーの《四使徒》の大作にようやく巡り会った。

デューラー《四使徒》部分

デューラーの代表作ともされるこの作品は、ヨハネ、ペテロ、パウロ、マルコの4人の聖人を描き分けて性格まで抉るかのような厳しい線と、大胆な配色で人目を惹く。写真では向かって左の背の高い方が聖ヨハネで、鍵を持った禿頭が聖ペテロ。

アルトドルファーの緻密

アルトドルファーの《イッソスの戦い》もあった。これを実物で見るのが長年の夢だった。ペルシアの王ダリウス1世とアレクサンドロス大王との合戦を描いたこの絵は、手前から画面の奥へとびっしりと騎馬の軍勢がうねるように蝟集し、その緻密な描写は画集ではとても細部まで再現できない。やっと本物を見ることが出来た。目が眩みそうなほど、小さな点になるまで飽かず見つめていた。

ここにはデューラーの《自画像》のなかでももっともいいものがある。画面にみなぎる力、深い自己省察に満ちた緊張感は比類がない。確かに「細部にこそ神は宿る」。

ブリューゲルも

レオナルド・ダ・ヴィンチも1点ある。ラファエロが3点。ティツィアーノも。

ブリューゲル《眠り》

ブリューゲルの《眠り》は《夢の国》とも言われ、男3人が大地に寝そべっている。よくよく見るとテーブルは樹木に貫かれ、足が出て走っている卵にナイフが刺さっていて、走り去る豚は背中にナイフを背負っている。これは、おそらく飽食を戒めた寓意画ということらしい。構図の妙とていねいな細部描写はさすがだ。

ルーベンスの部屋もある。プサンも。スペインからはムリーリョ、エル・グレコ、ベラスケス。レンブラントには一室が当てられている。光と影の魔術を見ているかのようだ。イギリスからは、ターナー、ゲーンズボロー。フランスからは、ブーシェ、ダヴィッド。

そしてティエポロがあり、またルーベンスがあり、フリードリヒの小品でアルテの展示が終わった。ここまでで1時間半。

近代の苦悩

ノイエ・ピナコテークの作品は19世紀以降のものだ。作家だけあげていこう。ベックリン、コロー、ドラクロワ、ミレー、クールベ、ドービニー、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌ、マネ、ドガ。いずれも日本の美術館にあれば、目玉として大いに喧伝されるだろう作品揃いだ。さらに、ピカソ、ボナール、ムンク、クリムト、ルドン、セガンティーニ、エゴン・シーレ、アンソール、モネ、ロートレック。

エゴン・シーレ《苦悩》

ピカソの《道化》、エゴン・シーレの《苦悩》が印象的だった。近代の自我が抱えている問題というか、寂しさ、苦しさが見えているように感じた。

昼食抜きでカンディンスキー

昼食の場所を探して歩くうちにレーンバッハ・ギャラリーに着いてしまった。ここは「青騎士」のメンバーを中心に近現代の作品を展示している。その中でも、カンディンスキーは具象から抽象への変遷がたどれるように多くの作品が並べられている。そのほかにもカンディンスキーの恋人だったミュンターや、マルク、マッケらの絵がある。しかし、ここはやはりカンディンスキーの抽象への道程をたどっていくのが圧巻だ。印象、即興から次第に事物は輪郭を失い、形は単純化し、画面を分割する線と色彩になり、わずかに形態を残すのみになり、ついには完全な抽象画にたどり着く過程が通観できる。「青騎士」以外にも、クレー、ドローネーからヨーゼフ・ボイス、ボルタンスキー、ウォーホルらの現代作家が収蔵されていて、楽しめた。

レジデンツの人骨

9月25日、水曜日。ノイシュヴァンシュタイン城に行くのはやめたので、ぽかりと日程が空いた。とりあえず、ペーター教会とフラウエン教会を回ってみた。どちらも塔にのぼることが出来るが、気力がない。レジデンツまで歩く。王家ヴィッテルスバッハ家のおやしきで、博物館になっている。パネルによれば、第二次世界大戦の爆撃から修復されたものらしい。中はロココから新古典主義の感じ。豪華ではあるが、とくに感興はわかない。富と権威の象徴でしかない。唯一、大量の聖遺物箱があり、聖人の骨の一部が納められているのが興味深かった。

20世紀の天才たち

さらに芸術の家(Haus Der Kunst)まで歩く。ここは西翼が現代美術館になっている。入ってすぐ、ラウシェンバーグ、ウォーホル、シーガルがある。さらにエルンスト、ダリ、ボテロ。ルネ・マグリットの彫刻があり、木の葉が鳥になってしまう不思議な像だ。

そして、ピカソの作品。人生と芸術をユーモアたっぷりに楽しんだ天才という感じがする。まだまだ展示はつづく。しかし、もう作家を羅列するのはやめよう。20世紀の作家たちの足跡をゆっくりと辿る至福を味わって時は過ぎてゆく。

まだ、日は高い。ほろ酔い気分で私はオクトーバーフェストに向かった。

高さへの意志

9月26日、木曜日、ケルンに着いたのは、午後1時3分だった。ホテルを定めて、ケルン大聖堂に向かう。

ケルン大聖堂・西正面を見上げる

西正面の真向かいにあるオープンカフェで昼食をとった。ゴシックの代表作といえる教会の尖塔は、あまりにも高く、カメラに収まらない。2枚をつぎはぎした写真で、感じは伝わるだろうか。とにかく、天空へと伸びていく塔は、圧倒的な印象を見る者に与える。内部も、そうだ。.高く、どこまでも、高く。柱の回りには無数の付柱があり、ヴォールトへつながって天蓋を支えている。ここは、まるで、ゴシックの教科書だ。意外に明るいのは、柱で重量を支えているために壁面にステンドグラスをはめこむことが可能になり、そこから光が射し込むせいだろう。均整と同時に野蛮なまでの高さへの志向を感じる。

八角形の聖堂

翌日、9月27日、金曜日、アーヘンへと列車で移動した。目的は、アーヘン大聖堂と宝物館。小雨模様。アーヘン駅から、西へ、そして五叉路で北上。

アーヘン大聖堂の内部・天蓋

大聖堂ではミサの最中だった。5分ほど待って中へ入る。ここは、フランク王国の首都だったところで、カロリングルネサンスの香りを今に残している唯一の場所でもある。聖歌、鐘、オルガン。いまだに、人々の生活のなかに、大聖堂は息づいている。入り口からすぐナルテックス(玄関廊)になり、すぐ次が八角形の二層になった聖堂で、天蓋には見事なモザイクが描かれている。低いアーチで仕切られているが、材料は素晴らしい大理石で、聖なる空間を形作るにふさわしい。側廊の天井とアーチにもモザイク。小さな教会だが、不思議に敬虔な気持ちにさせるところだ。

宝物館(Scaftkammer)では、シャルルマーニュ(カールまたはカロルス)大帝による学芸復興や、聖遺物などを見ることが出来る。

ライティングの妙

9月28日、土曜日。メンヒェングラートバッハに行く。目的はアプタイベルク美術館。駅から西へ進むこと20分で着いた。ここは、現代美術を展示するために設計された美術館で、設備、採光が抜群にいいらしい。1982年の完成だから、まだ新しい。

アプタイベルク美術館の展示室内

入るとすぐ、ヨーゼフ・ボイスの作品が目を惹く。地階に降りると、イヴ・クラインの例のブルーに染められた作品やマン・レイのポートレート群がある。日本人では荒川修作があった。亡くなったティンゲリーや、フォンタナ、ウォーホル、シーガル、リキテンスタイン、アルマンらの作品が、ゆったりとしたスペースで大事に姿を現している。深呼吸して、アートの中に入り込もうとする。面白かったのは、クナーベルの《ヨーロッパの陽光》で、一室の天井がガラス張りなだけの部屋だった。季節によって、時間によって、変わるだろう太陽の光を、アートにしてしまう発想がユニークに思えた。

美術館は丘の上に建っているので、外は階段庭園のようになっている。しばらく、ベンチでぼんやりする。現代美術と向き合うのに要したエネルギーをここで補給しよう。

ゴシックの中を散歩

ケルンに戻って、シュヌットゲン美術館に立ち寄った。ここは、ゴシック以降の宗教美術を集めている。入る時に「写真を撮っていいか?」と聞いたら、なにやら書類にサインさせられた。おそらく、ここで撮った写真は個人の目的以外には使わないという誓約だろうが、初めての体験で面食らった。

シュヌットゲン美術館の石彫

磔刑像、聖遺物箱、聖杯など、およびゴシックからバロックにかけての木彫多数。小さな美術館で、ゆっくりキリスト教美術を味わうには好適だが、やや退屈なのは否めない。

受難画のパレード

つづいて、ヴァルラフ・リヒャルツ美術館を訪ねた。地階では、現代美術のオンパレードだったが、めぼしいのは河原温ぐらいだった、2階でようやく、目当ての展示に辿りついた。ケルンのマイスターによる受難(Passion)の祭壇画が多数並べられていた。つづいて、クラナッハ、デューラー。ルーベンス。レンブラント。もちろん、フランドルやヴェネツィアの画家も。新しいところでは、フリードリヒ、ベックリン。フランス絵画では、クールベ、ルノワール、セザンヌ。そして、ルドン。ムンク。

さすがに、美術館を1日に3館はしごすると、足がじーんと痺れ、軽い目眩がする。あとは、大聖堂前の音楽家たちの演奏を聞いて、ホテルに帰ろう。

突然ルネサンス

ベルリンに着いたのは9月29日、日曜日だった。明日、月曜日はほとんどの美術館は休みになる。ホテルで旅装を解き、休む間もなくダーレム美術館へ向かう。地下鉄で郊外へ。至るところにスプレーで落書きしてあって、ニューヨークのようにすさんだ感じがする。果たして安全なのか? 用心するにこしたことはない。美術館に着いたのは午後4時前だった。

入ってすぐのところは民族美術で、南アメリカなどの各地の美術が展示されていた。どうも、想像していたより、ずっと大きい美術館のようだ。歩き回っているうちに、突然絵画部門に出くわした。ベリーニ、マンテーニャ、ボッティチェリらのイタリア・ルネサンスのいいものがずらりと並んでいる。さらに、ギルランダイオ、マサッチョ、フラ・アンジェリコなどがきら星のごとくつづく。ラファエロの作品も素晴らしい。ヴェネツィアからは、ティントレットやティツィアーノ《オルガン奏者とヴィーナス》。

ファン・アイクもブリューゲルもそしてフェルメールが!

デューラー、アルトドルファーなどのドイツ作家ももちろんある。特筆すべきは私の大好きな北方ルネサンスの充実ぶりで、ファン・アイクやロベール・カンパンの貴重な作品が含まれている。なかでも、ファン・アイクの肖像画2点と、《磔刑》は見事なものだ。ブリューゲルも《ネーデルラントの諺》が光っている。ボッシュも。

そうこうするうちに時間がなくなってきた。バロック以降は省略。必死にフェルメールを探す。警備のおじさんに聞くと、「上の階だ。そこの階段を上がって右」と教えてくれた。走る。あった! 《真珠の首飾り》。少女が左の横顔を見せて静かに立っている。画面左の窓から光が射している。静謐を画布に定着させたような1枚だ。もう1点《紳士とワインを飲む女》にはあまり感心しなかった。画面に2人以上の人物がいて、全身を描かれているような場合、フェルメールのいい作品にある、余白の美というか、静かな光がない。ここで、時間切れだ。レンブラントもルーベンスもまたの機会だ。閉館の5分前にドラが鳴らされて追い出される。1時間では、とうてい回れないスケールの大きな美術館だった。

翌日、唯一火曜日休館のはずのエジプト美術館に行くと、この7月から月曜日休館に変更になったと掲示が出ていた。不運。明日、一気に回るしかない。

驚異のスケールの古代遺跡

10月1日、火曜日。まず、ペルガモン美術館へ行く。入り口を入ってすぐのところに、目玉のペルガモンの祭壇が再現されている。ここの売りは、古代遺跡を発掘して、できるだけ往時を復元して、館内で実物を展示するところにある。

ペルガモンの大祭壇

古代ギリシアのペルガモン(現トルコ領)のゼウスの大祭壇が、ここにそっくり移設されているのだ。高さ10メートル近く、フリースもできるだけ復元されていて、かなり圧倒的な迫力がある。

そのほかにも、ミレトスの市場門、バビロニアのイシュタル門などが、当時と同じスケールで館内にそっくり展示されている。遺跡だけでなく、ウルやアッシリアの出土品や、クレタ、ヘレニズム、ローマンコピーなど、ゆっくり見ていったらきりがない。ちょうど小学生の授業らしく、子どもたちが熱心に写生していた。少し見つめていたら、一人が「ハロー」と声をかけてきた。「ハロー」と返すと、恥ずかしそうに微笑んでまた写生に戻っていった。

2階のローマン・ポートレートとイスラムは省略した。

魅惑の微笑み

バスを乗り継いで昨日振られたエジプト美術館に着いた。目標は《王妃ネフェルティティの胸像》。入り口から入ってすぐ右に、完璧なライトニングでそれは展示されていた。

《王妃ネフェルティティの胸像》

古代エジプト史上もっとも美しい微笑が、今、目の前にある。1912年に発見されて以来、第二次大戦中の疎開など数奇な運命を辿った美女が、1967年からは、ここに安住の地を見いだしている。360度周囲を巡ってその微笑みを目に焼き付けた。

ここには、その他にも、カラブシュの門や、多くの頭像や全身像が展示されていて、古代エジプトの美術の変遷を辿れるようになっている。

さらに2回バスを乗り換えて、ノイエ・ナショナルギャラリーをめざす。だが、様子がおかしい。掲示によれば、10月1日、つまり今日から11月2日まで、休館! 仕方ない。ベンチに寝転がって、どこまでも青い空を眺めていた。

詩的な暴力、キーファー

フランクフルトに入ったのは、飛行機が発つ前日の10月2日、水曜日だった。ホテル探しが難航したが、4時半には、ツーリスト・インフォメーションで地図を入手し、シュテーデル美術館に向かっていた。ラッキーなことに、今日は美術館の入場料がいらない上に、遅くまで開いている。フランクフルトといえば、ゲーテ。ここ、シュテーデル美術館には、有名な《カンパニアのゲーテ》が麗々しく飾ってある。この階は、クールベ、セザンヌ、モネ、ゴッホなどがあるが、そういいものではない。むしろ、ナウム・ガボや、ピカソのキュビズム時代の作品に心惹かれた。

アンゼルム・キーファーの作品

さらに20世紀前半の作家たちのあとに、コンテンポラリーが始まる、クレー、ホックニー、そして感銘したのはアンゼルム・キーファーの大作だった。現代の暴力的な状況を詩的な繊細さで造形化しているように思えた。

2階は一変して、ルネサンスからバロック、近世までの絵画が並べられていた。ラファエロ、ボッティチェリからレンブラントまで。あのレンブラント《サムソンとデリラ》もここにあった。光と影のドラマ。しかし、なんと、1点ここにあるはずのフェルメールの《地理学者》は貸し出し中なのか、修復中なのか、展示されていず、代わりに手書きの断り書きの紙が止められていた。

まだ、たくさんの作品が並んでいる。ベラスケス、ゴヤ、フラ・アンジェリコ、デューラー、それにファン・アイク。細密な、小さな点までゆるがせにしない描写と、全体の調和がなんともいえない。他には、ロベール・カンパンの《ヴェロニカと聖母子》が印象に残った。

すでに7時。外に出て、薄暮のなか、彫刻庭園を散策した。ゆっくりと過ぎていく時間。

そして日常へ

次の日、10月3日、木曜日は祝日なので、ほとんどの美術館が休館していた。唯一、ゲーテ・ハウスだけが開いていた。しかし、ここが戦争で壊滅したあとに、忠実に復元され、ドイツの修復にかける意気込みと技術を示していることを除けば、よほどのゲーテ・ファン以外は感興はわかないだろう。当時の裕福な階級の典型的な家に過ぎない。旅行の最後の日、時間はゆるゆると流れていく。

いくつかの宿題と胸に収めた感動を抱えて、私はまた日常へと還っていく。

哀愁のヨーロッパ オーストリア・ドイツ篇 第10話 【ドイツ美術館めぐり】 完

text & photography by Takashi Kaneyama 1997

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