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魂の守備

1995年 秋季リーグ戦 関西学生アメリカンフットボール1部ブロック 最終戦

京都大学ギャングスターズ 対 立命館大学パンサーズ
11月26日 西宮スタジアム

いざ、西宮スタジアムへ

東京からはるばる新幹線ででかけた。第一試合に間に合わないと席が取れないので、6時起き。中央線から新幹線を新大阪で降り、JR大阪駅から連絡通路を歩いて阪急梅田駅へ。西宮北口駅前からは、いつものように、人波がつづいていた。

京大も立命館も6戦全勝のタイで迎えたこの試合は、戦前は圧倒的に立命館有利と予想されていた。ディフェンスは両チームとも互角。オフェンスは昨年の優勝チームの立命館がQB東野をはじめ主力が残っているのに対し、京大はわずか半年の経験しかない急造QBの杉本とパンター・キッカーとパスQBを兼任の田中でシーズンを戦っていた。ハンドオフがやっとのような攻撃は、ラインの力でしのいでいたような状態で、京大の勝ち目は薄かった。

私の予想はロースコアなら京大にも五分五分で勝ち目あり。立命館の攻撃が爆発したら、圧勝。どちらにしろ、京大ファンにとっては、心臓にも胃にも悪いゲームになりそうだった。

意表をつくアーリーパント

京大は私の予想を上回って、守備的な作戦に出た。なんと、サードダウンでロングのシチュエーションに田中が出てきてショットガン・フォーメーションになった時、パントを蹴ったのだ。攻撃権を1回フイにした代償に、京大は有利なフィールドポジションを得た。アーリー・パントはテレビでシュガーボウルを放映したときに、アラバマ大がウィッシュボーン体型から、ハーフバックが蹴ったのを見たことがある。これは、自陣深く押し込まれた時の奇策で、リターナーがいないためにボールの転がりによっては、50〜60ヤードを稼げる。ただし、相手に攻撃権を渡すのだから、ディフェンスに自信がなければできない。

京大のゲームプランは徹底していた。ランは基本的なパターンでファンブルの起こりそうなピッチプレーはできるだけしない。ラインを信じて走る。インターセプトを避けてパスは投げない。どちらにしろ、パスが通る確率は低い。ウイッシュボーンを発展させたギャングボーン(フレックスボーンともいう)では、ハーフバックが昔風にいえばウィングバックに位置するため、レシーバーとしても警戒しなければならない。立命館はいつまでたってもパスを投げない京大に対して、3ないし4DBをひいているため、ランサポートに集中できない。

たった一回のタッチダウンチャンス

2回目のアーリー・パントが、ビッグチャンスを生んだ。立命館の攻撃を3回で止めたあとのパントを京大の堀口が大きくリターン。立命館ゴール前に迫る。パントリターンを助ける執拗なブロックが実を結んだ。ここで伝家の宝刀、QB杉本のキーププレーでエンドゾーンにボールを持ち込みタッチダウン! 結果的にはこのゲームで唯一のチャンスだった。京大7-0立命館。

ラン中心ということは、時間を消費することでもある。ディフェンスチームはこのシーズンはフィールドゴールの3点しか許していない。京大ゴールライン守備はタッチダウンをされたことがないという希有のシーズンだった。それだけ、オフェンスには得点力がなかった裏返しでもあるのだが。立命館には、進まれても、得点を許さない。その気迫はグラウンド上に満ち満ちていた。ランは完封状態。東野から下川へのホットラインのパスがたとえ通っても、ラン・アフター・キャッチをさせない。パスキャッチの時点でDBが激しいタックルを仕掛ける。ディフェンスラインは、ものすごいチャージをQB東野にかける。

立命館の驚異のパスオフェンス

しかし、何度サックを受けても、東野はすいすいとピンポイントパスを通していく。立命館のパス攻撃は完成の域に達していた。パスが山なりではなく、直線なのだ。ビュンビュンとパスがレシーバーの胸元へと吸い込まれていく。

だが、立命館は攻撃を始める地点が悪かった。自陣の奥深くへと田中の好パントで追い込まれたのが辛い。それでも、TE大木へのパスで、ただ1回京大のタックルをはずしてロングゲイン。これを足場に攻め込むがタッチダウンならず、フィールドゴール。京大7-3立命館。

ゴールラインで粘る京大

さらに、京大ゴール前に詰め寄るが、エンドゾーンの中で京大DB高井がインターセプト。さすがのパスも、ゴールラインが近づくと、守備にとって守るべきフィールドが狭くなり、パスには守りやすくなる。立命館にとっては、ランではゲインできないことが、ボディブローのように効いてきていた。

そして、第4クォーター、残りわずか。京大は田中のパントがまたもやナイスパントで立命館を自陣ゴール前4ヤードに押し込める。ここで、京大応援団はやっと「勝てるかもしれない」と思い始めた。なにしろ、統計では立命館の方が圧倒的に進んでおり、京大は田中のパントだけが目立つような状態だったのだから。

立命館の最後のチャンス

だが、それから奇跡のドラマが幕を開けた。1分数十秒しかなかったように思う。東野はサック寸前、エンドゾーンから下川に弾丸パスを通した。つづけて、東野→下川、東野→下川。東野スクランブル、ファーストダウンを重ねる。投げて、走れる東野のすべてが一挙に吐き出されたようだった。そして、東野からまた下川へパス、キャッチしたのが京大ゴール前2ヤード、タッチダウン寸前にタックル。ここから4回の攻撃権。残っていた時間は40秒くらいか。色めき立つ立命館スタンドに対し、京大側は、唖然としていた。いま、私たちは、奇跡を目撃しようとしている。

チームの魂があらわれる瞬間

「ゴールライン・ディフェンスは、チームの魂である」と言ったのは、アラバマ大のヘッドコーチを長く務めたポール・ベア・ブライアントだったろうか。気力と、練習で培った技術とパワーがあれば、タッチダウンを阻止できる。そう、今こそチームの魂がその姿をあらわそうとしていた。

京大は東野のキーププレーを3ヤードロスにしとめる。つづいて立命館の願いを乗せたパスは、ついにレシーバーに届かなかった。レシーバーへのマーク、ラインのプレッシャー、何よりもあふれでる気力。私は「魂の守備」を見たと思った。寒空のもと、我を忘れて「止めてくれ〜、頼むから止めてくれ〜」と絶叫した夜。フォースダウン、パス失敗。反則を示すフラッグなし。立命館に残るタイムアウトなし。京大は時間を消費。タイムアップ。ファイナルスコア、京大7-3立命館。

奇跡の女神が微笑んだ

立命館は素晴らしいチームだった。攻撃に関しては文句なく日本一だろう。あの最後の東野がリードしたドライブは、実に見事だった。しかし、勝負では、京大の気持ちが上回った。奇跡は、願う者に起こる。私は、確かに奇跡を見届けた。


text by (C)Takashi Kaneyama 1997