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レポート

久松史奈と私との出会い

雑誌に持ち込まれた見本盤の山

1990年頃、私は新雑誌の創刊準備に参画していた。コラムページの映画、音楽、演劇、本、スポーツ、時事、その他もろもろをまとめて担当していた。プレスという立場にいると、試写会の案内やら新譜のテープ、CDがたくさん来る。もちろん全部に目を通すわけにはいかない。サンプルCDは家に持って帰ってそのままうっちゃっていた。

静かな日々に出会った衝撃の一枚

やがて雑誌が出た。目の回る忙しさの中で、CDなんか聞く暇なんかなかった。まるで止まらない高速のメリーゴーランドに乗っているかのようだった。1993年頃、私は体を壊し、部署を変わった。突然やってきた静穏な日々、気まぐれを起こしてたまっていた数十枚のCD見本盤を全部聴いてみることにした。大半は、私の好みに合わなかった。その中で、1曲目の「STARDUST」が私の心を惹いたCDがあった。しなやかに伸びる高音。はねるようなリズム感。いかにも若々しく、何より、ロックスピリットに満ちていた。私は、たちまち恋に落ちていた。

はじけるヴォーカルにのめり込む

久松史奈。そのデビューアルバム「FRIENDS」は私の愛聴盤になった。やがて、私はレコード店でリリースの順番に、なぞるようにアルバムを買い続けた。「CHERRY BOMB」「AUCTION」。初期の3枚は、ビート感が特徴になっていると同時にバラードにいいものがある。素直なよく通る高音がきれいなのだが、またそこにいまひとつ魅力としてはどうか、という部分がある。

進化するロック魂

しかし、史奈は変化しつづけていた。提供楽曲から、自分の作詞する曲が増えてきた。「AUCTION」では全曲作詞し、ヴォーカルも、癖のあるアメリカン・ロックぽい荒々しさと女性らしい繊細さが同居する、複雑さを備えてきた。少女が大人の女性へと変貌するように、史奈はロックの女王への道を歩みはじめていたのだ。「BIRTH」「PLEASURE」(「MAX」をとばして)「BED OF ROSES」を聞いて、それははっきりしてきた。史奈の作曲した曲も収録され、またひとつ皮がむけてきた。そのころ、私はようやく史奈のCDリリースに追いついていた。1995年の晩秋。そして見つけたのだ。新聞に「久松史奈Live、 ON AIR East」の文字を。出社してすぐにぴあに駆けつけた。あった。「oasis」のツアーだった。その時、私はまだこのニューアルバムを知らなかった。

生の史奈に会った感動

ライブは素晴らしかった。私はそこで、史奈のもうひとつの魅力を知った。それは、ファンへの温かい気持ちである。ON AIR Eastの出演者控え室は、ライブスペースの後方上にある。アンコールが終わって帰る史奈に、ファンが声をかける。すると、史奈が、手をふってくれる。丁寧に、温かく。気持ちの伝わる、仕草だった。ファンも史奈も、なごり惜しそうに、ライブの余韻をゆっくりと味わうエピローグのような瞬間。

ファンであることの幸せ

私はすぐさまファンクラブに入会し、「oasis」を買い、WOWOWに加入し(久松史奈のこのライブを特集放映する予定だった)、今までこんなすばらしい歌手を知らなかったことを後悔したのだった。

そして、私は今、久松史奈のファンであることの幸せを味わっている。ベスト盤の「MAX」も購入し、シングルもアルバムも発売日には買うし、ライブは発売日か先行予約でチケットを入手する。史奈の好きなJoan JetteやPretendersのCDコレクションも始めた。

もはや、久松史奈は、私の大事な宝物なのである。これから、彼女のアルバムを最初からたどって分析を加えていこう。

text by (C)Takashi Kaneyama 1997


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