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(2002/05/31-06/30)


THE DAILY FORECAST:FIFA WORLD CUP 2002 KOREA/JAPAN


コラム

【「感動をありがとう」で片づけるな】

日本代表はよくやった。頑張った。実力を出した。ワールドカップで決勝トーナメントに生き残ることは、そう簡単ではない。それは、「強豪」が相次いで1次リーグで姿を消したことでもわかる。

韓国がベスト4まで進んだことで、日本の「偉業」は影が薄くなった感はあるが、それでもプロリーグ創設からわずか10年でここまで到達した意味の大きさは変わらない。

しかし。

「夢を、感動をありがとう」と言ってこの悔しさを忘れてはいけない。それは、選手やスタッフの努力を忘れることにつながりかねない。なぜ、トルコに負けたのか? 何が足りなかったのか? その回答を求める4年間の旅が、また始まるのだ。

私は、1985年国立競技場、木村和司のコーナーキックから加藤久のヘディングが韓国ゴールのバーを叩いたシーンを、トラウマのようにずっと覚えていた。思い出すたびに、胸の中の同じ場所がキリキリと痛むような記憶だった。あるいは、1993年、ドーハでのイラク戦のロスタイムにショート・コーナーから入れられたヘディング・ゴール。1998年、ナントでのクロアチア戦で、中田からのロングパスを見事にトラップした中山のシュートがGKに阻まれたシーン。

「悔しい」というレベルを超えて、心の中に穴があいたままだった。

たしかに、その傷は少しずつ癒えた。ワールドカップへの出場を果たし、勝ち点を獲得し、勝利し、決勝トーナメントまで進んだ。

しかしまた、大きな穴があいたのだ。あの中田浩二の不用意なパスを、私は忘れない。アレックスのフリーキックがバーを叩いた瞬間を、忘れない。

決して個人のミスを責めるつもりはない。サッカーはある意味ではミスを前提にしたスポーツだ。しかしまた、個人なくしてサッカーは始まらない。そして、心にあいた穴は、選手とスタッフたちが抱えた穴の方がより深いはずだ。

忘れやすい人々は、この6月の興奮と喧噪を歴史の一齣に埋没させ、悔しさも涙も忘れ去るだろう。そう、その方が楽だ。

だが、私には忘れられない。そして、同じように忘れなかった人がいるからこそ、4年前の屈辱が今回の勝利への糧となっているのだ。

だから、私はあえて言う。「感動をありがとう」で片づけるな。私は、この哀しみと悔恨を抱きしめたまま、また新たな4年間を生きていく。忘れないことが、私なりの「彼ら」への敬意の証だ。そしてまた、それは「彼ら」が「私たち」であることの証なのだ。

04/July/2002
text by Tkashi Kaneyama


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