BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
SPECIAL 1999-2000

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第59話:いま、パブでこれを書いている。

パブのなかには霧のように煙草の煙が立ち込めていた。まだ夕方の4時、それほど混んでいるわけではない。カウンターの空いている椅子に座り、ギネスを1杯注文して小銭で3ポンド用意した。たぶん、2ポンド50くらいだろう。

ここは、O'DONOGHUE's。有名なパブ、だそうだ。左の男はチェーンスモーカー。右ではP.D.ジェイムズのペーパーバックを読んでいる。さらに右では新聞を読んでいる。

濃密な時間。ギネスをちびちびやりながら、このメモを書いている。ダブリンでの日々を振り返るには、もってこいのシチュエーションではないか。

心の底から自分が空気になじんでいくのを感じる。ここが、まるで自分の本来の居場所のようだ。アイルランドのパブがそうさせるのか、単にカウンターで酒を飲むと落ち着くという私の習性なのか。

ここで、人は出会い、語り、笑い、去っていく。

「あんた、何をメモしてるのかね?」

チェーンスモーカーの男が私に尋ねていた。

「いや、ただの日記みたいなものです」
「休暇? 仕事?」
「あ〜、休暇。仕事をやめたばっかりなんで」
「ダブリンで職探しかね?」
「いや、ただのholidayです」

「この店は気に入ったかい?」
「もちろん、とくに雰囲気が」
「日本にもこんな店はあるのかね?」

ここは、「ない、全然違う」と言っておいた方がよかったかもしれない。でも、嘘はつけない。

「生のギネスはないけど、落ち着ける店はたくさんあるよ。実はカウンターで飲むのが大好きなので」

それから、旅行の予定や、アラン島について話をした。知らない人間がひとりで飲んでいたら、何か理由をつけて話し掛けるのがアイルランドの流儀とは聞いていた。しかし、それが都会のダブリンで我が身に起きるとは思わなかった。

ギネスをもう1杯。6時になった。知らないあいだにパブは込み始めていた。大仰なハグと頬へのキス。笑い声がはじける。

ひとりだけの旅行者には辛い季節、クリスマスが近づいていた。

(第59話:いま、パブでこれを書いている。 了)

text by Takashi Kaneyama 1999

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