BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
SPECIAL 1999-2000

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第45話:飢餓の記憶。

彫刻《家族》

セント・スティーヴンズ・グリーンの東側に、静かにこの彫刻は立っている。

父は、天に向けて両手を差し伸べている。子は座り込んで動けない。母は飢餓特有の腹部肥大にかかっている。犬さえもへたり込んでいる。

約150年前、アイルランドは大飢饉に見舞われた。直接の原因は、胴枯れ病によるじゃがいも不作の連続なのだが、英国は不在地主の財産保全のために小麦を急いでイングランドに運ばせた。

「オレたちの作った小麦は、オレたちの手に入らない」

英国政府が緊急援助したとうもろこしの粉には必要不可欠なミネラルが欠けていて、病気が大量に発生した。

「あいつらがくれた粉には毒が入っている」

もともと、小麦が収穫できる肥沃な土地をイングランドに収奪され、じゃがいもしかとれない、あるいはじゃがいももとれない土地にアイルランド人は近世以降、追いやられてきたのだ。

人々はあるいは餓死し、あるいはアメリカへオーストラリアへと移民し、人口は激減した。20世紀末の現在でも、アイルランドはこの大飢饉以前の人口には回復していない。

最近行われた150年のセレモニーで、英国のトニー・ブレア首相は正式にアイルランドに謝罪した。

母は子に水をやる。

うなだれている母が子に与えているのは水である。水しか、あげるものはないのだ。飢餓そのものよりも、飢える子の為に何もできない母の絶望を思うと、胸がつまる。

この彫刻は《家族》と題されている。いま、アイルランドの人々が山盛りのフライドポテトやマッシュポテトに、親のかたきのように食らいつくのも、さもありなんと思う。

(第45話:飢餓の記憶。 了)

text and photography by Takashi Kaneyama 1999

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