BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
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計画篇

あのテロさえなければ・・

もともとは、2001年9月から10月に行くはずだったのであった。

9月下旬から35日FIXの枠いっぱいを使ってロンドン、イスタンブール、ミラノを回ってチャンピオンズリーグからミラノダービーまで見るはずだったのだが・・。

8月30日にメールでいつもの旅行代理店に問い合わせて、「ルフトハンザの90日オープンロンドンinミラノout+イスタンブールへのフライト19万円(!)」というチケットが取れたのが9月11日なのであった。

その夜に例のテロが起こり、状況は激変する。試合日程は変更され、トルコへのフライトを見合わせる航空会社が出て、しかも海外から帰国しようとする邦人で一時的にエアーが混み合う。

だいたい、もう少し落ち着けばテロの影響で航空券相場は急落するはずで、それならばこの値段のチケットは高すぎる。

そういうわけで、キャンセル。しかし、週末にリーグ戦、週半ばにチャンピオンズリーグ、という都合のいいスケジュールと私のスケジュールはなかなか合わない。

やっぱり欧州蹴球行脚したい。

かくして月日は過ぎ去り、2002年を迎えたのであった。

とにかくシミュレーションを繰り返してみたが、結論は出ない。ひとつには、イングランドとイタリアとスペインに加え、オランダやトルコやポルトガルまで範囲に入れたためスケジュールが錯綜したのだ。35日もあれば、かなり回れる。しかし、いくら飛行機で移動してもかなり無理のある日程にならざるをえない。

この過程で、3月1日のNO-ARASHIライブを見に行くプランは泣く泣く割愛した。というか、出発が延び延びになったのでもはやアウト。

ううむ、ガリシアにも行きたい。ポルトガルの浜辺でイワシの塩焼きを食いたい。ここでついに決心し、「ガリシアとポルトガルをめぐる3週間」のプランを作成。さっそく「マドリッドinリスボンout」で航空券を探し始めた。

準備篇

航空券探し

58,800円というまことにすばらしい価格でJTBがネットで売り出していたが、予想通り完売していた。

結局、いつもの旅行代理店に電話。客足がすっかり戻ったらしく、安い云々よりも取れるかどうか、と言われる。

経過を省略して結論としてはKE(大韓航空)のソウル経由チューリヒ往復を67,000円でゲット。この結果、旅行日程は大きく変質する。

さて、どこへ行くか?

普通に考えればチューリヒからマドリッドに飛んで、もともとの「ガリシアとポルトガルをめぐる3週間」を実行すればいいのだが、それではどうも面白くない気がしたのだ。

いったん地中海に下りて海沿いに少しずつ西へ移動するのもいいかもしれない。方向を変えてドイツに入り、パリへ、ロッテルダムへと行く手もある。あるいは船でアドリア海、エーゲ海を渡ってトルコへ行くことも考えられる。

いったん収束したはずの数々のアイディアが、またもや頭のなかで渦巻き、結論が出せなくなってしまった。あ〜あ。

出発まであと3日をきっても優柔不断が継続する。もう面倒くさくなり、このまま決めずに出発してしまうことにする。ちょうどいいタイトルも浮かんだのだ。

「ダイスをころがせ!」

かくしてTumblin' Dice Tourはスタートすることになったのだが・・。

実は私のスケジュールもいっぱいいっぱいであって、なかなかやることが終わらない。出発前日にようやく確定申告を終え、生命保険その他野暮用をこなす。しかし、パッキングまでにはまだまだやることがあり、totoを買ったりYahoo!オークションの代金振り込みをしていたのであった。

近所の喫茶店にこもって旅行の準備に入る。まずは手帳に必要なもの・ことのリストを記入していく。これだけは毎回欠かさない儀式なのだが、まず1〜2時間は優にかかる作業でもある。

さらに帰宅して、インターネットでリアルタイム旅行記のための準備。ようやくパッキングに取りかかった時には真夜中の12時を回っていた。

出発間際篇

今度こそ乗り遅れない。

成田空港へは7時20分に集合となっている。例の私が乗り遅れたまさにその便なのだが、いやらしいことに出発がさらに10分早まっている。

すでに当日の0時過ぎ。これまでに私がやった準備は吉祥寺からのリムジンバスの予約とAIU保険の購入だけである。

手帳のリストにもとづき、パッキング開始。髪が短くなったのでシャンプーもリンスも櫛もいらない。薬関係は大幅に内容を見直してスリム化し、小分け袋に入れて体積を減らす。ころっと忘れていたのはモジュラージャックのアダプタ。RJ-11が標準になりつつあるのだが、各国ではいまだに旧タイプでつながる電話も多いのだ。とくに私が好んで泊まる旧くて小さくて設備がボロいホテルでは。

まあ、ないものはしょうがない。

それからトラベルナイフとドライバー類はcheck-in luggageの方へ移しておく。機内で日程を検討するのでガイドブックをどーしようかと思ったが・・大胆に割愛する。

徹夜で出かける。

そして某所へ赴き、出発までの時間待ち。「寝たらまた遅刻するから」ということで、お店が終わる4時半までビールを飲んでいく予定になっているのである(すでに1回遅刻した前科もあるし)。

まだ薄暗い頃、早めに店を出て吉祥寺へ。リムジンバスは10人程度の客を乗せて定時に出た。90〜120分で着く、という幅のある到着見通しだったが、77分で第2ターミナル、86分で第1ターミナルに着いた。早過ぎてカウンターがまだほとんど開いていない。

成田空港

表示が出てすぐに速攻で航空券を受け取り、チェックインする。荷物はfragile扱いにしてもらい、現地支店の電話番号の入ったパンフをもらっておく。エリアを出てからパンフを見る。・・ところが、そのパンフに手書きのメモがはさまっていた。これは返さないと、思ったがカウンターのエリアにまた入るのは面倒くさい。

警備員に「そこの彼女に渡して」と言うと「職務上、ここを離れられない」と抜かす。行列に並ばなくていいから、もう一度入ってくれ、ということで再度カウンターエリアに入ってメモを手渡す。恐縮してましたけどね。

売店でアスピリンとエビアンを購入。電気店も開いていたので覗く。モジュラージャックのアダプタもあった。ちょっと高いが、四の五の言う場合ではないのでスイスとイタリアのを購入。

機内で

あとはいつものように搭乗。インチョンまでは朝日新聞を読み、インチョンからチューリヒまではUSA TODAYを読み、韓国のコーヒーはどこかコーヒーの味を誤解しているに違いない、と思いながらチューリヒからどこへ行こうかと悩み続ける。

機内誌でたまたまマルタ島(というかマルタ共和国)の記事を読んでしまい、かなり強烈な印象をインプットしてしまった。果たしてこれがどんな影響をもたらすのか?

そうこうするうちに、機は着陸してしまった。

text by Takashi Kaneyama 2002

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