BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
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3月22日(金) ミラノ→チューリヒ

スイスは寒かった。

さらばミラノ。

ミラノ最後の日、ということはイタリア最後の日である。しかし、とくに感慨はない。とくにイタリアのファンでもイタリア大好き、というわけではないのである。これで来たのは4回目だけど。

通信してメール受信しようとする。しかし、モデムセーバーによれば、ここの回線は過剰電流。LINE切替で試すが、ダイヤルするだけでつながらない。モデムがやられてはたまらないので、通信は断念。

朝食に降りる。拙い英語でじいさんがサーヴしてくれる。温かいクロワッサンにはチョコレートクリーム入り。これにカプチーノ。朝から甘いモノなんて・・、と思いそうだが、甘いモノを食べるなら朝が一番いいのである。脳が糖分を欲しているのだ(もしもあなたが脳を使っているなら)。

昨日発見できなかった「Esse Lunga」のアドレスがわかったので、さっそく向かう。昨日降りたメトロの駅からひとつ先で下車してみれば・・あっけなく見つかった。あのガイドブックの地図では位置が2ブロックずれている。

それはともかく、期待通りの大型スーパーで、朝8時から開店している。よしよし。ここで本格的に食材を物色する。

途中、公園で休憩しながら帰る。このホテル周辺は、駅からちょっと距離があるがホテルが集中している。


こういう看板が並んでいるとほっとする。どこかに空室があるだろう・・って。

パッキングしてチェックアウト。実はキャンセルが出たらしく、3日くらいは滞在できるよ、って言われたのだが、もうチューリヒまでの切符を買ってしまったし、ACミランの試合を見たらあとのミラノはおまけに過ぎない。

パッキングに苦戦。おみやげ分で容量が増えてしまった。暑いのでジャケットもたたんで仕舞ったし。荷物が3つで、チューリヒまで移動する。

チューリヒへ。

もはや勝手知ったるミラノ中央駅。11時10分発(偶然だが、昨日のトリノ→ミラノも11時10分発だった)の列車にはジュネーヴ行き、シュトゥットガルト行き、フィレンツェ行きの3本があってまぎらわしいが、チューリヒに止まるのはシュトゥットガルト行きである(列車番号を見れば一目瞭然)。

コモからアルプス越え。車窓からは湖畔の街、白い山頂、深い渓谷、そこにかかる橋を渡る列車・・という素晴らしい景色が展開するのだが、私はまたも眠かった。

スイスは鉛色の雲に覆われていた。しかも小雨。チューリヒには定時ちょうどの2時53分に着いた。寒い。サングラスではアホみたいだ。眼鏡を取り替え、ジャケットを取り出して着込み、財布の中身をユーロからスイスフランに替える。さあ、Tourist Serviceへ。

都市が機能している幸せ。

ここのツーリスト向けサービスは充実している。手数料なしでホテルがその場で予約でき、しかもホテルとはオンラインで結ばれている。見所と地図を掲載した小冊子もよくできているし、イベントガイドにはコンサート、演劇、映画のスケジュールが載っている。ここで24時間乗車券を購入しておく。空港まで含んでCHF10.80。高いようだが、実は市内交通は1回でCHF3.60もするのである。

ホテルは結局、前回と同じHotel LimmathofにてCHF100に落ち着いた。今度は北側の部屋で、窓の外にはケーブルカーが走っている。

窓は防音ガラスで、閉めれば騒音はほとんど聞こえない。さて、買い物に行こうか、湖畔に散歩にでも行こうか・・と思ったが、いったんベッドに倒れ込んだら、そのまま2時間休んでしまった。もはや、しなければならないことは、何もない。

7時過ぎ、食事に出かける。トラムに乗って24時間乗車券に日付刻印しようとするが・・機械が見当たらない。ううむ。テキトーに降りて、テキトーに歩く。そのうちに雨が降ってきた。トラムの停留所で、切符の自動販売機の下部にカードの差し込み口があるのを発見。ここで無事にvalidateできた。有効な切符を持っているのに、日付刻印していないために無賃乗車扱いされてはたまらない。

結局、ホテルから西に行ったところでレストランやバーがたくさんある小路を見つけた。しかし、どこも高い。メインが30〜40フランするのが普通らしい。「Franziskarner」という居酒屋があり、昔ミュンヘンで同じ名前のところで食事したことを思い出して、そこに入る。相席が普通のビヤホール、という風情なのだが、それでもCHF42.20(内訳:仔牛肉の薄切りのマッシュルーム・クリームソース、レシュティ添え[small nportion]29.50、ビール1杯4.20、アイスクリームのアーモンド・パルフェ8.50)。

雨は大降りになっており、びしょ濡れで帰る。今回の旅行で唯一の雨だ。

photography and text by Takashi Kaneyama 2002

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