BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
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3月18日(月) カプリ島へ小旅行/ナポリ→(トリノ)

七転八倒。

ホテルをチェックアウト。あのイヤなデブが「おつりがない」という。しかし、ここではカードで払う気はなかったので札を全部見せると、金を持って外へ出ていき、くずしてきた。しかし、1ユーロ以下は切り上げるつもりらしい。

しょうがないので、端数28セントのところを30セント出して「1ユーロよこせ」と要求したが、あくまでも72セントの切り上げで押し通してきた。こいつの場合、何を間違えてホテル業をしているのかわからないが、とにかく常に機嫌が悪く、客か下働きのおばさんに当たり散らしている。たぶん、「ワニの脳」なのだろう。客を睨む目つきが凶悪で、甘やかして育てられて人間が歪んだ二代目、という感じがする。

しかし、ここでとにかく荷物を預かってもらう。

カプリ島へ渡るために港へ。駅からバスかトラムがあるはずだと思うが、あらゆる掲示が信用できなくなってきていて、30分ほど歩いて到達。ちょうど9時5分発のフェリーがあったので飛び乗る。1時間20分ほどでカプリの港に着いた。


「青の洞窟」は幻想的にしてスリリング。

例によってインフォメーションで地図を所望したら有料だった。まずはGrotta Azzuraへ。モーターボートが満員なった時点で出発。日本人密度がなぜか極端に高い。

洞窟直前で手こぎの小舟に2、3人ずつ乗り換える。ひとり旅の場合、カップルのおじゃま虫となって舳先に後ろ向きに乗る。小舟の料金と洞窟の入場料を払って順番待ち。

やがて「足を伸ばして体を倒すように」指示されて洞窟へ。高をくくって顔を上げていたら、突然後ろから顔の上に岩が迫ってきて「なんだ、なんだ」と慌てて倒れ込む。鎖を船頭が押さえ、波が低くなったところで一挙に洞窟へ侵入する、という戦法のようである。

洞窟のなかは狭い入り口からの光線が反射して青の蛍光色のよう。カンツォーネを歌っている船頭がいて、みごとに反響する。

帰りももちろん、スリリングなくぐり方で脱出。そのまま島に上陸する道もあるようだ。いったん、そっちへ行ったのだが「道がわからない」ことに気づいてモーターボートに戻してもらう。


海の色の濃淡は、時刻とともに変わっていく。

港からカプリ中心部へ、なにを思ったか歩いて上る。高血圧持ちにはキツイかと思ったが、なかなか楽しい。フツーはケーブルカーかバスを使う。


家々には思い思いのタイルで表札がかけられている。

テキトーに散歩していたら昼になったので、リストランテ探し。カプリの中心では、あまり選択の余地がない。アナカプリではまた事情が違うのかもしれないが。

で、プリモに魚介のリゾット、セコンドにイカと小海老のフライを食べていたら、日本人の団体が入ってきた。おばさま十数人におやじ一人、添乗員と日本人現地ガイドと現地人ガイド。大声で話すものだから、聞くともなしに聞いていれば「個人旅行、個人旅行っていばるな」という話をオヤジがし始めた。そうですか。どーも私に対して聞こえよがしに言っているらしく、何度も繰り返すのだが、いかんせん内容がない。それでは自分のコンプレックスを告白しているだけだ。

カメリエーレは団体のお世話でてんてこまい。私に目配せして「ご覧の通りさ、ちょっと遅れるけどごめんね」。


"Villa Jovis"から崖を見下ろす。

ティベリウス帝は、晩年ここカプリ島に隠棲したままローマの政治を司った。その住居跡が"Villa Jovis"。島の東端、絶壁の上に建っている。いまは草花が咲き、崖には海鳥が舞っている。

その"Villa Jovis"に行くには歩くしかない。徒歩以外には小さなカートしか通れず、それも階段は無理だ。ツーリスト・インフォメーションで買った地図によればカプリ中心から45分。ゆっくり歩いてそれくらいで着いた。汗ばんだ体に吹きつける風が心地よい・・・実はそれがいけなかった。食べたばかりのお腹を急激に冷やしてしまった。

帰途、ものすごく気分が悪くなり、ベンチで休んでいたがさらに悪化。横になった途端に吐き気を催して道ばたに吐いた。無理矢理歩く。夕暮れの道には買い物帰りのおばさんや、遊びに出かけるじいさん、学校から戻った子どもたち。そんな風情を愉しむ余裕もなく、やっと見つけたバールでトイレを借りて、強制的に吐く。胃が痙攣している感じがする。さらに下痢。なんとか身支度を整える。

バールのオヤジが心配げに「大丈夫か?」と聞いてきた。トイレを借りた義理でミネラルウォーターを買い、青ざめたまま道を下った。かなりよくはなったが、まだ胃が痛い。中心部に着いたのは5時半、行きの2倍も時間がかかっている。ケーブルカーで港へ。そのケーブルカーの発車待ちをしているあいだにまた悪化。うう、苦しい。

なんとか耐えてケーブルカーを降り、船の切符を買いに行く。しかし、フェリーは5時50分発が出たばかりで、次は8時台。それでは今晩乗る夜行に間に合わない。仕方なく、6時30分発のリアジェットにする。こいつは速いことは速いが揺れる上に高い。胃がでんぐりかえったまま、大揺れの船に乗るのは自殺行為のような気がする。

港のバールでまたトイレを借りる。ここで飲んだカフェラッテはうまかった。Gazetta dello Sportをいまごろながら買い、リアジェット船に乗ってナポリへ。覚悟していたのだが、ほとんど揺れず、気分も上々で下船。なんとか駅へ行くトラムをつかまえ、ホテルから預けておいた荷物を請け出して中央駅へ。

ほどなく、乗る予定の寝台車の番線が掲示された。そこにはすでに電車が入線していた。車掌が乗り込んだ。まだ乗れないらしい。電車の前で待つ。発車50分前、ためしにドアを開けたら開いたので乗車。寝台の支度を自分でする。しかし、その支度はちょっと間違っていて、改めて修正をする。

どういうことかというと、やり方がわからないので、最初に着いた同室のおじさんの真似をしたのだが、それがまったく間違っていたのだった。コンパートメントには2段ベッド4台。満室でトリノへと向かった。

photography and text by Takashi Kaneyama 2002

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