3月16日(土) パレルモ→ナポリ |
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朝7時過ぎにパレルモを出た。またまた海を渡ってイタリア本土へ。コンパートメントに6人、そのうち正しい予約席に座っているのは私だけ。2人は予約なし、1人は同じ車両の違う席、2人は違う車両の席。そういうわけで、正しい券をもつ人が乗車するたびに切符を見せて一悶着あり、ようやく正しい席に正しい人が座る。
イタリア半島の西岸を走る鉄道からは海がよく見える・・ということなので昼間に走る列車にしたのだが、同じコンパートメントのご婦人方が「まぶしい」とブラインドを下ろしてしまった。 ナポリには午後4時過ぎに着いた。例によってツーリスト・インフォメーションへ。地図とホテルリストをもらう。ここはホテル紹介もしているようだが「係員が知り合いや親戚のホテルを紹介する」というとかくの噂があり、敬遠した。やたら陽気なオヤジが「ダイジョーブ、モンダイアリマセン」「ミシマユキオ」「シオサイ」「ココ、サンタルチア」「サア、ウタッテクダサイ」と日本語を連発し、ついつい私は「♪Santa Lucia〜」と歌わされてしまった(←嘘です。歌ってません)。 荷物を担いでホテル探し。中央駅付近で、本来20万リラのセミスイートを67ユーロでいい、というので決めてしまうが・・。
散歩がてら、サンタ・キアーラ聖堂へ。子どもの聖体拝領かなにかの日であったらしく、着飾った(飾られた)坊やたちが記念写真と記念ムービーにおさまっていた。しかし、肝心のChiostro(回廊)は5時30分で閉まっていた。無念。
つづいてナポリ国立考古学博物館へ。ここのギリシア・ローマ彫刻は圧巻。 テキトーにメトロに乗ったら、駅を(つまり路線も)間違えていたことが判明。しかし、そのまま乗って終点でケーブルカーに乗り換える。だが、このケーブルカーはほとんど地中を走るので景色が見えなかった。
カステル・ヌオーヴォからサンタ・ルチアへ。すでに日は暮れている。ナポリといえば、海の幸とかピッツァとか。で、よさげな店を探すが、メニューを出しているところが非常に少なく、まさに鼻で探す。 結局、いかにも安そうなところでスパゲティとステーキを食い、ビールを飲む。どーしてそういうメニューを頼むのか、自分でも理解に苦しむが、このスパゲティ・ボンゴレ・ビアンコが実にうまかった。差配するオヤジが知り合いの画家によく似ていて、他人に思えなかったせいもあるかもしれない。 すでに夜10時に近かったのだが、歩いてホテルへ帰る。なぜかといえば、メトロの駅が見つからなかったので。途中、いかにも怪しい青年に誘われたり(十中八九、ぼったくりバーの客引き)、車の中から罵声を浴びせられたり、タバコをねだられたりしつつナポリの夜を満喫する。 さて、私が何に怒っているかというと、「ナポリでは誰も信号を守らない」ということではない。自動車がまったく信号に従わないという点ではパレルモも同様だった。しかし、パレルモではたとえば老人や不慣れな旅行者に対して寛容というか温かいまなざしがあった(ような気がする)。 それがここナポリでは、信号を守るような「アホ」や、切れ目なく流れる車列を横切るのを躊躇する「臆病者」を容赦なく罵倒するのである。たとえそれが杖をついた老人でも、乳母車を押す母親でも。私はあまりのことに爆竹に火を点けて車の窓から投げ込んでやろうかと思った(もちろんしなかった。だいたい、爆竹を持っていない)。 photography and text by Takashi Kaneyama 2002 |
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