BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
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3月11日(月) ローマ→(パレルモ)

一路シチリア島へ。

ローマへ最後の一瞥。

朝、ネットに接続。メール86通。なんとか3月9日分までをアップロードする。

朝食を摂ってチェックアウト。荷物を預かってもらう。その場所は、単にロビーの壁際だった。

今日は夜11時の夜行列車でシチリア島へ渡るのだが、その前にローマ散策である。

バス・インフォメーションでバスのルートマップをもらおうかと思ったが、「路線図はない」と大きく掲示してある。ありゃま。しょうがないので、昨日と同じ店で1日券を買う。

今日の第一目標はDomus Aurea。日本では「ネロの黄金宮殿」として名高い。しかし、ここ30年ほどは修復とかで公開されていなかったのだ。要予約らしいのだが、どっちにしろ今日しかないのでまず行ってみることにする。

とりあえず、コロッセオに止まるバスを見つけて乗る。フォロ・ロマーノの東側を南下すると、目前にコロッセオ。

ここから道路を渡った南東のどこかにあるはずだが・・あった。窓口で聞くと、10時20分からの回が取れた。今はまだ9時40分。この丘の公園でひと休みである。というか、まだ疲れることはなにもしていないが。

Domus Aurea

さて、10時20分。ガイドについていくツアー形式。これはガイダンスのためではなく、セキュリティのためである、という警告があってから観客の言語調査。イタリア語、英語はもちろん、フランス語もスペイン語もいて、ガイドさんは大変なのである。実はドイツ人もいたが、彼は英語で十分だったらしい。ちなみにもちろん日本人にはあまり見えないが日本人もいるわけだが。

ガイダンスはオーディオガイドを聞いてくれ、ということになっているが、私はポリシーに則り、オーディオガイドなし。だいたい、聞いてもろくなものがあったためしがない。

「鷲の廊下」「浴場」「黄金天井(ただし、現在は剥落して面影なし。ルネサンス期までは黄金のままだった記録有り)」「ミネルヴァ」「アキレス」「八角形の間」(以上は私の勝手な訳)と、かなり想像力と視力を要する行程をたどる。

しかし、ここは建築としてはネロ帝時代のままであり、だからこそ徹底的な修復と同時に調査が行われてきたし、いるのである。とくに八角形の間(Octagonal room)は、彫刻の名品がずらりと並んでいたはずであり、そこにはおそらく【ラオコーン】(現在はヴァティカン美術館の所蔵だが、もともとはこのへんで出土したのだ)も、ここにあったのではないか、という説がある。

45分ほどでツアーは終わり、ガイドに感謝の握手をして別れる(スペインあたりならチップを渡すところだが)。コロッセオからフォロ・ロマーノへ、中に入るわけではなく、通り過ぎる。直射日光を浴びて暑いので、途中で適当なバジリカに入って涼みがてら地図を検討する。もうひとつの修復ポイントであるトラヤヌス帝のフォロ(Foro Triano)へ寄ることにする。

やっと公開されたフォロ・トライアーノ

さて、テキトーに歩いていたら、たぶんここがフォロ・トライアーノ、というところにぶち当たったが、入り口がわからない。結局一周した。

日陰のベンチで休む。少し脚をストレッチ。

バスに乗ってトラステヴェレに行こうとPiazza Veneziaへ。しかし、バス停が多すぎてわからん。やっと見つけて乗車。橋を渡って、おおよその見当で降りたらぴったしだった。

食事はうまいがサービスは?

Pizzeria探し。月曜は休みのところが多いのか、まだ早いのか(すでに1時近いのだが)、開いている店が少ない。で、あまり感じよくない店に入ったら、やっぱり感じよくなかった。

だいたい、料理をサーブするときに無言で置いていく。やる気も笑顔もない。まあ、気取らない店はそんなものかもしれないが、それならサービス料は取るな、と言いたい。

しかし、料理はうまかったのだった。プリモにはピッツァ・ナポリ(アンチョビとモッツァレラ)1枚まるごとカリカリのクリスピーで、セコンドはトリッパ・ア・ラ・ロマーナ(牛の胃袋のローマ風煮込み)、ミノやセンマイやハチノスがコリコリしていて・・。vino rossoと合わせてE15.00。実は、デザートはともかく(このクラスだと、デザートはたぶん既製品)エスプレッソを頼もうかとも思っていたのだが、サービスがあまりになおざりなのでやめておいた。

なんだか、フィレンツェに行って、あのBisteca a la Fiorentinaを食べたくなってきた。

丘の上からの眺望

さて、と歩き始める。これから丘の上まで。しなければならないことは何もない。さっそくきつい傾斜の道をくねくねと上る。イエスが十字架を担って上ったゴルゴダの丘を思い出させるかのようにパネルが坂道にある。

上り詰めたそこにはSan Pietro in Montorio。かつて、ペテロが殉教したとされた地に建てられた教会である。しかし、教会よりも何よりも眺望が素晴らしい。

さらに上へ。草地があって、そこでひと休み。地図を見なきゃ・・と思いつつ、そのまま寝転がってシェスタ。空が青い。ローマの空は、本当に青い。ルネサンス絵画などに出てくるあの色は本当だったのだ。

犬がじゃれついてきた。松の木が風で揺れる。

こうしてもいられない。噴水があった。さらに上へ。そこにPiazza Garibaldi。

見晴らしがいい。そこでまたぼーっとしていたら、観光バスが止まって東洋人の群れを吐き出した(たぶん韓国人)。

帰途、WCに寄る。青い蛍光色だが、きれいで快適。0.5ユーロ。

San Pietro in Montorioが午後の観覧時間になっていたので見る。

骸骨寺を経てテルミニへ。

トラステヴェレの下界へ降りていく。バスをつかまえて、バルベリーニへ行く。しかし、大幅に通り過ぎてしまう。実は共和国広場まで来ていた。歩いて戻り、かの有名な骸骨寺へ。ここは寄付制なのだが、見せ金で10ユーロ札を1枚だけ置いている。気持ちで4ユーロだけ寄付。

骸骨というと不気味だが、要するに本物で作った「Memento Mori(死を想え)」である。最後の審判(天秤と大鎌を持っている)まですべて骸骨製だ。

テルミニ駅までメトロを使う。バスの1日券が使えるかどうか、改札で提示して試すが見向きもしなかった。乗れたからいいや。駅では念のため、夜行列車の時刻と番線を確認。地下のショップ街を検分。24時間スーパーをはじめ、書店、ドラッグストア、キャッシュマシン、両替、テレホンカードやバス・メトロ券発売所、インターネットポイント、マクドナルドにダンキンドーナツまである。

スーパーでゲータレード、ミネラルウォーター、MARSのチョコバー3本を買う。ゲータレードを飲み干して人心地つく。夜行が出るのは11時だが、いまはまだ7時前である。

時間がありあまる。

両足には複数のマメが出来ているもようだし、鼻炎は再燃するし、腰は痛いし。当面やることは・・と、コリエレ・デル・スポルト紙を買う。昨日4点とったモンテッラには10点(!)という高評価。いくらローマびいきのコリエレでも9点がいいところではないのか?

とりあえず、ホテルに戻って荷物を請け出す。そのまま、どっかのカフェで時間でもつぶそうかと思ったが、駅地下で座れる場所が見つかったので、そこで資料を読んで過ごす。

10時前にホームへ上がる。例によって大きな掲示板に番線が出るのを待つ。これがなかなか出ない。待っている場所は鉄道警察の窓口そばなので、たぶん安全だと思うのだが、なぜかそこの机の上にはサンブーカとウィスキーの大瓶が置いてあった。

発車予定時刻の12分前にやっと「Binario13」と出た。それっと一斉にホームへ。しかしまだ入線しない。

クシェットでシチリアへと渡る。

やっと入線したと思ったら、車掌が「まだだ」と制止する。やがてかの車掌は乗車前に検札をしてから乗車指示をしていった。そして、私がパレルモ行きだと知ると「朝はカプチーノか? エスプレッソか?」と聞くので「カプチーノを」と答えておいた。

予約したのはクシェット(簡易寝台)で、3段ベッドの中段だった。同室の2人ともビジネスマンのようである。寝る前にちょっと会話をする。

「カルチョを見に来た? いや、クレージーだとは思わないけど、日本にはそんなにチームが少ないのかね?」
「タオルミーナはいいよ。うん、いい。私はメッシーナまで。ああ、ミネラル・ウォーターは頼んだか? ガスなしね。頼んでこよう」
「すまない、ガスありしかないんだ。しょうがないから、思いっきり振ってから開けるといいよ。ワハハハ」

かくして、列車は動きだし、私たちは眠りについた。

photography and text by Takashi Kaneyama 2002

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