BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
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3月8日(金) ミラノからマントヴァへ小旅行

「グロテスク」の館

長年の思いが、いま。

パヴィアの僧院へ行こうか? それともサン・シーロを下見してみようか? とか考えたが、やっぱり積年の思いをここで実現しよう。

ミラノからマントヴァまでは約2時間、列車の本数が少ないので1日ががりだ。

つながらない。

その前に、部屋の電話線で通信しようとするが、つながらない。音を確認したら、ちゃんと電話をかけているのは確かで、物理的な接続はしている。電話はトーンだし、アクセスポイントを変えても結果は同じ。

ううむ。サーバが動いているか、受話器をとってアクセスポイントに電話してみれば・・つながってから無音。本来ならつながってすぐにピーピーガーガーという特有の応答音がするのだが。しかも、かすかに会話が聞こえる。応答する、しない以前に電話が混線している。原因は電話線にあり、と断じて今日の接続をあきらめる。

小さな街

7時50分にホテルを出てミラノ中央駅へ。8時20分の列車に乗り、10時25分にマントヴァ着。窓の外の風景は濃い霧から、少しずつ晴れて、着く頃には快晴になっていた。

まずは中心部へ。だいたいの見当で歩いていたら、あっという間に広場に着いた。思ったよりも小さな街だ。インフォメーションで地図をゲットし、最初に向かったのはPalazzo Teである。

パラッツォ・テとは?

「テ離宮」と訳されるこの館は、マニエリスムからバロックへといたる流れのなかでの「徒花」とも言えるGrotesque(グロテスク)の代表作だ。「グロテスク」の当初の意味は「洞窟(Grotta、グロッタ)趣味」から来ており、いわゆる現代の「エロ、グロ、ナンセンス」といった文脈で使われるニュアンスとはかなり異なる。

この時代、貴族は屋敷に洞窟風の部屋を作ったり、おどろおどろしい画面で天井と壁を覆ったり、「鬼面人を驚かす」風の事を好んだのだ。美術史からは「こけおどし、美的価値なし」として貶められて来たのだが、ここPalazzo Teの、とくにジュリオ・ロマーノによる「巨人の間」は描かれた当時から評判だったのである。

歩けばけっこうな距離である。途中、総菜屋や旅行代理店やバールがあって寄り道したくなるが我慢して20分ほどまっすぐに進む。

11時過ぎには着いた。写真撮影は禁止らしいのだが・・。


ここは「馬の間」。

「巨人の間」は本当に撮影してはいけないらしいので、写真はパス。ここだけセキュリティが常駐しているのだ。なんとも、すんごい空間ではある。以前、美術全集を編集していたときから気になっていた作品ではあったが、あの1枚の写真ではここの凄さは伝えきれないだろう。しかし、あの1枚の写真が私をここに招んだのだ。

なぜか2階に古代エジプトやメソポタミアの遺品も展示してある。

家族経営のリストランテ

歩いて中心部へ戻る。すでに目的は達成したので、ゆっくり食事することに。適当なリストランテに入ってみたら、足は少し悪いものの矍鑠としたお祖母さんに席に案内された。なんか家族経営らしいほのぼのとしたところであった。息子がシェフで嫁は厨房の手伝い、孫娘が注文を取りに来る・・などとストーリーを自分で組み立ててしまった。

カボチャ入りトッテリーニ(シナモンが効いていた)とStracotto d'arso(donkey stewってロバの煮込み?)のポレンタ添えを頼む。暑い日だったので白ワインをハーフカラフ、それにミネラルウォーターを所望する。

デザートにチョコレートのタルト。孫娘(勝手にそう思い込んでいる)に「甘いワインは一緒にいかが?」と定法通りに薦められるが辞退。エスプレッソの段階でも「グラッパはいかが?」と薦めてくれた。小さい店ながらも本来のやり方に則ったサービスに好感。でも、昼間から飲み過ぎると頭痛がするんだよね。

あとはエピローグ。

パラッツォ・デュカーレへ。ガイドブックでは、たぶんここを必見とか書いているはずだ。自由に見られるのではなく、ガイドについていく方式。半端な時に入ると、先発しているグループに連れて行ってくれる。

ガイドツアーは王宮などで多いが、えてして時間がかかる。ここも一時間半、ずっとついていかねばならない。しかし、マンテーニャのフレスコだけでも来る価値はある。

さて、ツアーが終わるとみんなトイレに急行するのだが、なんと女性用が工事中なので男性と女性が共用になっており、しかも高校生くらいのグループがお洒落の手直しなんかしていて、ものすごい行列が出現していた。ひいい。

ショップで絵葉書を購入。それで思い出したが、さっきの「巨人の間」の絵葉書がパラッツォ・テになかったので、近所の土産物屋で物色して入手。

いかにも古い円形バジリカ、サン・ロレンツォ聖堂にも入ってみる。ロマネスクというよりも、その前の時代に近い様式。いまの地面よりもlevel(建物の基準となる水平面)が下がっていることから見ても、相当古い。

近くなので、サンタンドレア聖堂にも入ってみた。

水辺で散歩。

ついでに「リゴレット」の家も探したのだが、これは見つからなかった。しかし、突き当たりに川というか湖というか、とにかく水面を発見。水際が遊歩道になっていたので、夕陽を眺めながら散歩した。


釣りを愉しむ人も多い。

帰れない?

そろそろ帰りのミラノ行き列車が出る時間だ。駅まで遊歩道を歩いていたら・・駅へと渡る道がなかった。柵の向こう、高さ3メートルほど下りればそこは線路なのだが。しかも、停車しているあの列車がミラノ行きのようだ。

どこまで行っても駅へと渡る通路は見えなかったので、昔とった杵柄で柵を乗り越えて構内へ進入し、何気なくホームに上がった。何が昔の杵柄か、と言えば国鉄の駅は子ども時代の私の遊び場だったのである。

午後5時29分に発車。ミラノにたどり着く頃にはすでに日は落ちて暗い。終点が「Milano P.G.」となっていたので、ミラノ中央駅には着かないのだと思う。「だったら、検札の時にでも聞けよ」と突っ込まれそうだが、その通りだ。でも忘れたのだから仕方がない。行きも帰りも駅名のアナウンスはまったくないローカル線でもあり、行き当たりばったりで行こう。

名前に聞き覚えのある「Milano Lambrate」駅に着いたので、降りる。地図によれば、ここからホテルまで地下鉄3駅分ほど。夜の街を歩いて帰ることにする。約40分でホテル着。途中でインターネットポイントも発見したので、明朝トライしてみよう。

フロントのお姉さんは「チケット取れた? ダメ? 大丈夫、明日スタジアムに行けばあるわよ」と無根拠に楽観的である。

photography and text by Takashi Kaneyama 2002

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