BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
SPECIALスペイン蹴球紀行
CONTENTS
3月15日-17日/マドリード→バルセロナ
フライトの朝、錠が開かない

3月15日(水)

荷物をパッキングして、3WAYボストンバッグに鍵をかけた。中に忘れものをしたので開けようとしたら開かない。3桁の数字の錠なのだが、何かの拍子に動いて数字が変わったらしい。たぶん元の数字に近いはずなので、可能性の高い順にやってみるが開かない。かくなる上はすべての可能性を順番に1,000回やるしかない。1回に3秒かかるとして、50分あればいいのだ。そして889回目に開く。右手人さし指にマメが出来た。よくあるアホなミスだが、妙に達成感があるのが可笑しい。

空港へ。プエンテアエレオ、1時間おきに飛ぶシャトル便だ。日本人と遭遇し、ずーっとサッカー話。バルセロナのあとはイタリアからミュンヘンに回るという。なんと55万円、という驚異の値段のツアーに昨年参加したそうだ(ラツィオ対パルマ、チャンピオンズ・リーグ決勝)。

バルセロナの空港のツーリスト・インフォメーションで地図をもらう。ホテルは検索して自分で電話するもの。面倒なのでバスでカタルーニャ広場へ。ここの地下のインフォメーションでとにかく2泊確保。

市場近くの店で昼食。入り口の席を指示されたが、あまりにわずらわしいので席を代えてもらう。

なにはともあれ、カンプ・ノウへ。とにかく今日の試合の切符は入手。高い。バックスタンドで12,200pts(約8,133円)もする。

ショップでTシャツとマフラーをゲット。この分でいくとバッグに入らなくなりそうだ。

いったん、ホテルに戻ってから出陣。FCバルセロナ対ヘルタ・ベルリン。


得点の度に立ち上がって拍手。

スタジアムでは席を何回も聞く。確認の意味と、一種の挨拶である。さて、本当は、すごいのはヘルタの応援だったのだ。3-1でバルサが勝ったが、こっちの方が感動したくらいだ。

3月16日(木)

フロントでもう1泊できない? と交渉をして成功。そして今日はモンセラットへ行くつもりだ。

その前に旅行代理店へ行ってマヨルカ行きのアレンジを依頼する。マシンがダウンしたので、確認のファックスをホテルに送ってもらい、明日の朝受け取ることに。

実は、右足の裏、土踏まずに変なマメができている(だいたい、場所が変だ)。昨日までは異物感程度だったが、今日はちいと痛い。これでモンセラットの山道を歩くのは無謀かもしれないが、まあ逆療法ということもある。

現地表記をしない某ガイドブックに腹を立てながらも鉄道とバスを乗り継ぎ(ロープウェイは通常点検中)、羊腸の山道を登る。

着いた。セルフサービスのレストランで食事をして、聖堂へ。13時からは少年聖歌隊の歌が聴ける、という触れ込みだったのではあるが。

サン・ミゲルの十字架、というview pointの先にロマネスク聖堂がある、というので登りはじめる。ぜいぜい。息が切れる上り坂。展望。休息。冥想。

バルセロナに戻る列車で熟睡してしまった。サグラダ・ファミリア前で新聞を買う。つづいてカサ・ミラ。昔は入れなかったのだが。

MACBA(現代美術館)でクレーをボールペンで模写。外に出ると夕闇が濃い。子どもたちがローラースケートやスケボーで遊ぶ。小さな広場。

夕食へ行くために、とある店のメニューを筆写し、辞書で研究して臨むが、それは昼のメニューであった。まあ、いい勉強にはなった。

ファックスはまだ届いていない。

3月17日(金)

代理店からのファックスが来ていた。「Cheap hotel」とわざわざ書かなくてもいいじゃないか。しかも時間を、オフィスは9時に開くはずなのに9時30分以降と指定してる。なので、わざわざ港まで行って9時50分に訪ねたら、彼女ひとりが仕事をしていた。これがスペインなのである、バルセロナでさえ。そして航空券とホテルのバウチャーを受け取り、万事終了のはずだったが?

フレデリック・マレー美術館。観客は私ひとり、他は警備員。

フィゲラスへ列車で向かう。鼻炎が悪化。くしゃみ、鼻水に加え、右目から涙が出て来た。

ダリ美術館。フランス語多し。


たぶんマリリン・モンロー。
わざわざ台に登って見る仕掛けになっている。

戻りの列車で航空券をチェックしていたらミス発見。帰りの飛行機の日付けが違う。21日にバレンシアへ行くはずなのに、23日になっている。単なるタイプミスか? オフィスへ行って笑顔でクレーム。お姉さん、大謝り。かなり笑えるミスである。

カサ・バトリョへ行こうとして迷う。わざわざ教えてくれたおじさん、疑ってごめん。あなたは正しかった。

懐かしのロス・カラコーレスは改装なのか、閉店の断わり書きがあった。仕方なく、近くの店で食う。メニューを指差すことなく注文する、という目標を達成。

明日からはマヨルカ島でしばしの休憩である。

text by Takashi Kaneyama 2000

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