BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
SPECIAL EURO2000への挑戦
CONTENTS
6月18日-20日/ブリュッセル→パリ→ソウル→東京

(以下、メモ帳が見つからないので仮の日記)

6月18日(日)

ピクシーのこぶし。

もう観ることができるのは今晩の試合だけだ。と思いつつ、午前中はずっと写真の整理とメールの返事とWEB制作に忙殺される。そういう場合ではないような気もするが。

まずはアール・デコの巨大建築というコーケルベルクのバジリクへ。でかいが、わざわざアール・デコにした神経がよくわからない。


逆光のキリスト。

ついでこのあいだも行ったマンガ博物館のショップでタンタン・グッズを購入。ここでかなりのベルギーフランの現金を消費したかいあって、かなり丈夫そうなタンタン・バッグに入れてもらえた。よしよし。

中央駅Bruxlles Centraleで明日のパリ行きを買おうとするが、ここでは買えず南駅Bruxelles Midiへ行け、でもコンピューターがダウンしているから明日の分はたぶんダメだよ、と言われる。ううむ。とりあえずリエージュ往復のみ買っておく。

3番目には昨日空振りだったヴァン・ビューレン邸へ。ここもアール・デコだが、やっぱりでかい教会よりは個人宅の方が好もしい。


こんな迷路が庭にある。

いったんホテルに戻ってシャワーを浴びて仮眠。

そしてリエージュへ。

或る人へのメール

6月18日、リエージュ、ノルウェー対ユーゴスラヴィア。

リエージュはブリュッセルから1時間20分くらいのワロン語(フランス語)地域の都市です。が、何があるのかは全然知りません。それはともかく、駅からスタジアムが遠いことだけはわかっています。

問題はスタジアムへいかに行くか。チケット保持者だけがスタジアム行きのシャトルバスに乗れるのです。リエージュ・ギュレマン駅にあったEURO2000のインフォメーションデスクで「チケットを持っていないがどうしたらスタジアムへ行けるのか?」と馬鹿正直に聞いてみると「2番か4番のバスで行け」と言う。しかし、これは市内循環バスで、南西の端にあるスタジアムには行かないことが判明。

なので、今まで正確だった雑誌にしたがって27番のバスを待ったのですが、1時間に2本あるはずなのに、なかなか来ない。35分待っても来ない。あきらめてタクシーを探してウロウロしたら27番が見えたので慌てて走る。「A Standard?」(というところが、最寄りの停留所名)と聞くと、不思議そうな顔をしつつ、「行く」というので乗る。

これが遠いのですよ。平均時速67km(推定)で15分走ってもまだ着かない。しかし、ようやく騒ぎ声が聞こえ、歩く人々が見えてきて、ついにスタジアムを視認してバスを降りました。

これからが勝負です。今日観られなければ三連敗。しかし、現金の余分はない。3650BFに対して4500BFが限界。チケットチェックのゲート前で周囲を観察。ストイコヴィッチも応援したいし、ユーゴ側の方が見込みあるかなあと狙うも気配なし。移動していると「それは高い」という声が聞こえ、まさに交渉決裂したところに参戦。

カテゴリー1で、バックスタンドの上方という願ってもない席。それも最初から「原価3650で」という申し出。これはつまり、ダフ屋じゃなくアマチュアだということ。いちおう2500、3000と言ってみるが首を縦に振らない。ええい、3500。これでOK。一緒にゲートに向かう。奥さんが都合で来られなかったというオランダ人なのでした。つまり、これから隣同士で観戦するわけで、無理矢理値切らなくてよかった。


ユーゴの得点直後。
ピッチ手前で両手を上げているのがストイコヴィッチ。
(見えない? すみません)

試合はご存じの通り、ユーゴが前半のFKの1点を守りきって勝利。ベスト8に大きく近づきました。このフリーキックが決まった瞬間、ストイコヴィッチは歓喜の輪に加わらず、ゆっくり自分のポジションである右ウィングバックの位置に戻っていきました。ただ、一度だけ力を込めて静かにこぶしを握りしめて。あのこぶしに、ピクシーがこのEURO2000にかけるおもいが凝縮されていたような気がします。

西欧一般では、ユーゴの諸紛争でセルヴィアはつねに悪役で、ユーゴスラヴィアをあえて応援する人はほとんどいません。この試合でも後半は悪質な時間稼ぎでユーゴは激しいブーイングを浴びました。ストイコヴィッチが交代退場するときでも、ブーイングの方が圧倒的でした。それでもなおかつ、勝つことに執着する姿勢は、まさに国家間の戦争によく比較されるサッカーの一面を見せてくれたように思います。

これがオランダ・ベルギーからのEURO2000レポート最後になりました。いつも読んでくれてありがとう。

6月19日(月)

はじめてのおつかい。

パリで帰国便に乗る日だが、結局リエージュからブリュッセルに戻ったのは今朝の2時だった。それでもなおかつWEBを更新し、メールに返事し、荷物をまとめて郵便局に発送しに行く。結局、小包の容積が小さくて本とパンフとポストカードしか入らなかったので「PRINTED MATTERS」で安くあげることにする。しかし、窓口の男がなかなか理解してくれず、なんやかんやで30分もかかってしまった。でも、最後に「そのネクタイいかすねえ」と褒めてあげたら喜んでいた。真っ黄色のEURO2000タイだった。気はよくても仕事は遅いのがベルギー気質なのだろうか?

ホテルでチェックアウトして中央駅から南駅へ、そこで11時40分発のパリ行きを買って乗車して寝ていたらパリ北駅に着いた。予定よりも1時間遅いだけだ。ここで荷物を預けてマダムに電話して・・・という手順だったが、コインロッカーはセキュリティチェックで行列になっていて断念。テレフォンカードを買おうと思ったらなぜかそこのRelaisでは売っていなくて結局駅のホームまで戻ってVISAカードでかける。

まあ、つまり、帰りにマダム邸にまた寄っておみやげを渡し、昼飯を作って食う、という計画なのだ。行ってみればすでに「羊も野菜も買ってあるよ」ということなのだった。しばし、ビールで潤う。さらにマダムのiBookで大韓航空の帰国便の出発時刻をチェックする。なぜいままでしなかったのか? ブリュッセルでは回線が5分以上もたないので、検索している途中で落ちてしまっていたのだ。決して忘れていたわけではないのだよ、諸君。

アンディーヴはゆでて他の野菜と合わせて辛子マヨネーズで食べることにし、羊はたまねぎとにんにくを炒めたものをベースにシンプルに塩・胡椒で味付けする。このラムチョップが絶品で、食材を購入したマダムをふたりで絶賛する。

それから、幼稚園から帰ってきたジュニアと一緒におつかいを、とマダムに命じられて外出。バゲットはあったがビールを売る店は月曜閉店。しかたなくスーパーに行くとジュニアが「あれ買ってえ〜」攻撃。彼は恥ずかしいことにウルトラマンティガの扮装だったりする。

とかなんとかでさすがに空港に向かう時間。MetroとRERを乗り継ぎ、ターミナル1に着いたが、実は大韓航空はターミナル2なのであった。そうかもしれない、とは思っていたのだ。わはははははは。どうってことはない。飛行機が出るのは夜の9時55分なのだ。

なぜか搭乗口でパスポートチェックがあったり、ソウル・東京のボーディングパスを渡されたりしたが、とにかく乗って食べて寝て食べたらソウルに着いた。 

6月20日(火)

帰還。

ソウルで乗り換えると、そこにはキムチをたくさん抱えたおじさんおばさんたちが。一気に日本である。おかげで、成田空港の税関では

「ソウルからですか?」
「はい」(嘘ではない)
「おみやげはいくらくらい買われました?」
「2、3万円くらいです」(嘘ではない)
「お酒や煙草はありませんか?」
「ありません」(嘘ではない)

ということで、荷物を開くことなく通過。ソウル経由って、いいかもしれない。

すでに夜の9時を回っていた。奮発してスカイライナーで帰り、日暮里で乗り換えて帰宅。途中、すでに店じまいしていた<戎>のたくちゃんに挨拶するが「どこか行ってたの?」と冷たいものである。シャワーを浴びて着替えると生き返った気がする。1時間後、某所と某所を巡回して主なおみやげを渡す。かくして、4週間ぶりに帰って来た。

photo & text by Takashi Kaneyama 2000

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