BON VOYAGE!

「哀愁のヨーロッパ」
SPECIAL EURO2000への挑戦
CONTENTS
5月25日-27日/東京→ソウル→パリ

5月25日(木)

飛べない男

またも遅れた。

目が覚めたら6時半だった。乗るべき成田エクスプレスは新宿発6時07分。しかも、これが成田空港駅に着くのが7時29分で、集合時刻は7時30分である。

かてて加えて、まったく荷造りをしていなかった。予定では、チャンピオンズリーグの決勝を生放送で見て、そのあいだに準備すればゆっくり間に合うはずであった。唯一の心配は決勝が延長になってしまったら結果を最後まで見られないなあ、ということくらいだったのに。

ということで、経過は省略して、成田空港に出発30分前に着いたもののタッチの差で締め切られ、スタンバイを3便つづけて振られ、結局翌日の同じ便を割り振ってもらったのであった。

帰ってみれば、ちょうど<戎>の焼き鳥がうまい頃合いで、あとは言わずもがな。

5月26日(金)

ソウルの酔っぱらい

心配した方が4時に起こしてくれた。実は昨日の騒動ですでにチケットは手元にあるので、今日は9時までに行けば座席は保証されているのであった。だが、やっぱり早く行くにこしたことはない。

ソウルには昼過ぎに着き、空港で地図をゲットし、当座のウォンを引き落として地下鉄でチョンノ(鐘路)方面へ向かう。ソウルの地下鉄は番号がふってあるので、乗り過ごす心配がない。ない、のだが乗り過ごした。わずか40分で着くとは思わず、地図を読みふけっていたのだった。

迷った(道にも決断にも)末にニョングァン(旅館)に投宿。シャワーもトイレもあるのに洗面台がない、という不思議な構造。例によってしばらく仮眠してから行動開始。

まずはサングラスを度つきで作ってもらう。前回と同じ店にて、110,000W、約1万円である。3時間後の引き取りになるので、東大門市場に歩いて向かう。

ちょうど屋台で煮込みやトッポギやいろいろ始まる頃だった。ここでなぜかハンコを作る。ハングルで自分の名前を彫ってもらうのだ。30,000Wを25,000まで値切ったが、ここは敵がずっと上手だったような気がする。たぶん、ヒトケタ落ちるかも。

裏通りを回る。パリなら画廊街とか書店街なのだろうが、ソウルではクズ鉄やら自動車修理やら、なかなかパワフルな通りがある。海鮮料理店が立ち並ぶところに出たが、ハングルしか書いていないので、皆目わからない。もっちゃんの回復が待たれるところだ(←人に頼らず、自分で勉強せい!)

シンダンドンシジャン(新堂洞市場)に行って、去年の店を探す。しかし、まったく様子が違う。というか、去年は工事中だったから、変わっていて当然なのだが。魚の活き作りの店が十数軒。とりあえず、1軒で聞いてみるが、わからない。そういえば、別の店から云々と言っていたような気もする。

お腹もすいてきたので、ヒラメの刺身とメウンタンを頼む。小さい方で30,000W。たぶん、食べきれない。そして、やっぱりダメだった。

酔っぱらって閉店間際の眼鏡店へ。そのまま小雨の中を濡れながら歩く。酔って火照った体に雨が気持ちいい。帰ってから、歯ブラシを持って来なかったことに気づいた。

5月27日(土)

パリで"もしもし?"

朝食を求めてさまよう。意を決して、『会話集』棒読みで「いま食事できますか?」と聞く。すると、顔を見合わせてから、主人らしき人がうなずいた。どうやら時間外だがいいだろう、ということらしい。メニューを見てもわからないのでおすすめを聞いたら「メウンタン」と言うので、それはやめて次のおすすめを頼んだ。やって来たのは寿司だった。

無愛想なオヤジに別れを告げて空港に向かう。無事にチェックインするも、どこにも歯ブラシを売っていなかった。公衆電話からカプラーを使って通信を試みたが、結局失敗。

機内食にはピビンバやカルビッチムが出る。それはいいのだが、あまりにも量が少ないような気がする。シャルル・ドゴール空港に着いて、まず地図をゲット。空港からホテルを予約すると高そうだったのでRERで北駅へ。いつもならカルチェ・ラタンに宿を取るのだが、今回は移動の都合もあって北駅周辺で通信できそうなところを探す。すでに夜の8時を回っている。構内でフランを引き落とし、パリの地図と"Pariscope"を買って札をくずす。

適当に投宿して、「マダム」に電話する。小中学校でずっと同級生だったが、この20年くらい会っていないのだ。フランスに住んで結婚して子どもふたり、までは聞いていたのだが。この間の事情はともかく、明日の夕方に訪問することに。しかしだな、電話には"Alors?"と応えてほしいものだ。

text by Takashi Kaneyama 2000

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