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ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI

2000年8月30、31日。ウブドの怠惰な昼下がり。

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8月30日(水)ウブドにて休養。

ウブドの目覚め。

5時には鶏はもちろん、犬も人間も目覚めていてモートルル・バイクの爆音が聞こえたりする。朝のノイズと共に夜が明けていく。

テラスでPowerBook打つも膝の上ではやりにくいので、中庭のテーブルに移動。しかし、ここは明るすぎて液晶が見えない。そうこうするうちにワヤンやお嬢様やリンダが寄ってきたので、写真やムービーを見せてあげる。ワヤンが「これでムービーが撮れるのか?」と疑っているので、ワヤンを撮影してみせて実証する。一瞬言葉をなくして「バグーース!」と一声発して去っていった。


中庭から5号室のテラスを見る。

車とドライバーをチャーターしてブサキ寺院と東海岸を回るツアーを計画する。できればもうひとり参加すると費用が折半できるので、お嬢様を誘う。また、ヌガラへのジェゴグ・ツアーは、今はスアール・アグン楽団が日本公演中なのであとの方がいいのではないか、ということに。楽団がいつ帰って来るのかが問題である。

昼寝の快楽。

本日は休養日、と決めてすっかり昼寝する。さらに風呂につかる。テラスでコピ・バリを淹れて飲む。このテラスにはかたつむりや雄鶏や蝉やもちろんトッケイ(ヤモリ)も来訪する。

お腹がすいたので、プリアタンまで行ってワルンでシーフードのナシ・チャンプールを食べる。帰ってから、テラスで昼寝。絵に描いたような怠惰な一日である。宿の入り口にあるガレージが、実は店だったことを最近知った。ここでビンタン・ビールを買ったらよく冷えていた。ついでにろうそくを2本。

グラスとビールを持ってK氏のいるテラスへ。意外なことに(あるいは当然かもしれないが)酒は飲まないそうで、逆につまみを出してもらう。やがて日が暮れ、ろうそくの明かりで語り合う晩、という状況になる。なぜか新撰組やサロメの話などをする。浜辺でぼーっとするならギリ・メノがいいらしいが。

2時間以上話して辞去。芦屋のお嬢様に声をかけて食事に出かける。<ノマド>。ブサキ寺院と東海岸ツアーは9月4日(月)に決定。あとはドライバー探し。

宿に帰ってから、ろうそくと月の明かりだけでお風呂に入ってみる。少し考えて蚊取り線香も風呂場に持ち込む。おお、なかなかの風情。

8月31日(木)朝早くからサイクリング。

早朝にペジェン訪問。

朝飯前にペジェンヘ出かける。サイクリングをはじめて30分もしないでクボ・エダン寺院に着く。どうも考古博物館は行き過ぎたらしい。

クボ・エダンは「ビマの踊り子」、通称「ペジェンの巨人」で有名らしいのだが、どうってことない像である。むしろ、その他の崩れかけた石像の断片の方が面白い。早朝のせいか、お布施を徴収する人もなく清々しい。

さらにプナタラン・サシ寺院にをめざすが、またもや行き過ぎたらしい。このあたりでは何やら祭りの準備をしていた。正装し、お供えを頭上に載せて寺院へ向かう人々の列。

引き返してみれば、カンタンに見つかった。またもや入り口は無人。ここは通称「ペジェンの月」という巨大な銅鼓がある。確かにあるのだが、高いところにある上に暗いので見えない。しかたなく、フラッシュを焚いた。


これが「ペジェンの月」。

銅鼓は西に面しているので日暮れ時にはいいかも。門や各所に照明があったので夕暮れ以降にはライトアップするのかもしれない。タダというのも何なので、お賽銭を500ルピアあげておく。

が、帰りにしっかりお布施を取られてしまった。名簿に記入させられるのだが、みなさんは軒並み1万から5万ルピアも出している。おかしいなあ、と思いつつ最低限らしい1万ルピアを出す(のちに聞いたところでは、ああいう名簿ではあとで金額の最後に0を足してしまうのだそうだ。そうして相場を上げておくのが通例らしい)。

戻って考古博物館へ。ここは無料のはずだが、やっぱりdonnationを求められる。2000ルピア。亀型石棺がもっとも面白い、というかそれしかない。

シンガポール航空は休憩中。

9時15分、宿に着いた。すぐにシャワーを浴びて洗濯、朝食。洗濯物を風呂場(屋外)に干し、テラスで自分も干す。

オーナーのマデ(通称カトゥン、またはレゲエのマデ)がやって来てテラスでお話。何かと思ったらモートル・バイクが壊れて修理代が要るので、宿泊料金を前払いしてくれないか、という相談だった。

WAERTEL(電話屋)に行かないといけないので、そのついでにお金を引き出すことにする。2時間後でいいかと聞くと、1時間にならないかと言う。けっこうあせっているようだ。

で、WARTELに行ってシンガポール航空に電話する。一度テープが出て、本当に用のある人間だけ0を押してくれ(もちろんそんな言い方はしないが)と言うシステム。しかし、昼飯でも食っているのかスタッフはいなかった。電話代がかかっただけだった。600ルピアを500ルピアにまけてもらう。このあいだ、同じウブド内への電話で1万ルピアも取られたのが悔しい。いくらなんでも同一局番であんなに高いはずはないのだ。

ATMで60万ルピア引き出し、<APA?2>に寄ってジェゴグのスアール・アグン歌舞団の帰国予定を聞く。スタッフが電話でチェックしてくれたところでは9月3日帰国らしい。なので、行くとしたら2週間後の17日(日)か、別のところのツアーで14日(木)になるというところまで確認。

ついでに、ブサキと東海岸へ車とドライバーをチャーターしたらいくらかかるかを聞いてみる。9時から6時の9時間拘束で35万ルピア。別のところで聞いた1時間あたり3万ルピア(ショート)、または1日で30〜50USドル(距離によって価格が変わる)というあたりとどっこいどっこい。交渉次第で30万くらいにはなるのかもしれない。

昼下がりはテラスでぼーっとする。私が勝手にマスターだと思っているクトゥに「ティンクリックの先生を知らないか」と聞く。

友だちに頼んでみよう、明日はいるか?

11時以降ならいつでもいい。

自転車でジャラン・ラヤ・ウブドを西へ向かい、渓谷を望む<ムルニーズ・ワルン>へ。マドラス・カレーとビンタンの大瓶、デザートにチョコレート・アイスクリーム。ここで、ブサキと東海岸行きの地図とプランを完成させる。しかし、このポイントをすべて制覇するのは時間的にむずかしいので、お嬢様の意向と当日の成り行きで決めることにする。計画は注意深く細心に、実行は柔軟にそして大胆に。


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