Bon Voyage!
ASIA AT RANDOM

WONDER ISLAND BALI

2000年8月22日〜24日。屋台とか浜辺とか市場を探検する。

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8月22日(火)サヌールでカード詐欺の罠を見破る。

朝、浜辺沿いに北上して屋台を発見。ナシ・チャンプールとスプライト。あとから同席したシカゴの男と話をする。失業中で4か月ひとり旅をつづけているそうだ。作家のスコット・トゥローとは近所だ、と言っていた。バリ島のポイントについていろいろ教えてもらう。

メインロードを南下していたらきれいな身なりの男女二人組に<KFC(ケンタッキー・フライド・チキン)>の場所を聞かれる。もちろん知らないので、そう答えたら、日本に弟が留学している、そこらへんで話でもしないか、と来た。いわゆるカード詐欺のひっかけである。時間がないので、と丁重に辞退する。

旅行会社トリロカ・チャンドラでウブド3泊を予約。現金を持っていなかったので、ホテルに戻ってドルを取ってくる。

夕方、また浜辺を北上して西進する。おじいさんがお供え物をして聖水をかけていた。バイパスを南下。観光客の散歩する道ではない。メインロードへの道がわからず、街灯のない暗い道をしゃにむにとにかく東へ。ふと見上げたら星がきれいだった。戻る途中の屋台でナシ・ゴレンを食う。

両足のマメが悪化。右足は水膨れになっている。

8月23日(水)デンパサールで辟易する。

朝陽を見に行く。すでに働いている人多し。暇そうな物売りと会話するも、買わず。

タクシーを呼んでもらってデンパサールへ。市場。さっそくつきまとうガイドおばさんたち。最終的には4人くらい引き連れていた。もちろんつけいる隙を与えずにいたが、つまりは何も買えず、何も撮影できなかった。ツーリストインフォメーションをめざす。かなり行き過ぎてから逆戻りして着いた。地図とイベントカレンダーをもらうが、あんまり役に立たない。バリ博物館へ。

入り口にたむろする人々。たいしたものはない。監視のおばさん(だと思う)は子どものおもりをしているし。

<ラーマーヤナ・デパート>をめざすが、某ガイドブックの地図の位置とは、かなりずれていることが判明。番地の順番からして違う。結局、市場から川をはさんで西側のショッピングセンターをめざす。途中でデンパサールの地図と缶入りフルーツティーを買う。紆余曲折の末、バリ・カレンダーを3万ルピアで買う。なにしろ時期はずれなので。年末なら1万そこそこで買えるはずだ。使用中の書き込みのあるものを5万5000ルピアで売ろうという根性がすごい。結局2万ルピアまでまけさせたが、待った末に新品を持ってきたので3万でよしとした。この感じは中国系と見た。

歩きにくい街と排気ガスに嫌気がさして、声をかけてきたトランスポートおじさんに「<マタハリ・デパート>まで1万」で交渉妥結。実は、同じ値段でメータータクシーならウブドまで行ってしまうのだが。

<マタハリ>を一巡して相場感覚を養う。地下に屋台街があったので、そこで食べる。お姉さんが可愛かったので写真を撮らせてもらうが、すっごく恥ずかしがるのであった。

デパートを出るとタクシーは探すどころか押し寄せてくるので、メーターであることを確認して乗ってガゼボまで帰った。

図書室で本を物色しているとおばさんに洗濯物のことで詰問されたが、人違いだった。『遠い海から来たCOO』にして、波の音を聞きながら読んでいたら、脳が溶けてきた。たとえようもない幸福感に包まれる。海の青、空の青、そよぐ風、降り注ぐ太陽。

しかし、いまだに一度も海に入っていない。

『COO』読了。企画書づくり。

ホテルのレストランでシーフード・グリル。ロブスターに蟹。お、恐ろしい贅沢だ。ビールにミー・ゴレンまで頼んで13万とんで500ルピア(約1700円)。

8月24日(木)サヌールからウブドへ。

朝からバリハイを飲む。『COO』を返す。浜辺では「AERA」も「サッカーマガジン」も売っている。屋台でミー・バッソ(肉団子スープに少し麺入り)。さすがに食い足りないのでナシ・チャンプールも頼む。唐辛子が喉にひっかっかてゴホゴホ。これで6000ルピア(約80円)である。

<ガゼボ>に帰ったら、どうもチップの請求らしい。たしかにホテルにはチップ・ウェルカムという意味が書いてあったが。1万ルピア渡す。

チェックアウトしてタクシーでウブドへ。約40分。

<アグン・ラカ・バンガローズ>。ライス・フィールドを部屋から見下ろすバンガローだが、アプローチがあぜ道なのと、部屋が狭いのが難点。階下の座敷も、バリ風に天井が低いので、仕事はしにくい。電源もないし。ここは、スイートがいいかもしれない。

ニョマンというおばさんのスタッフとお話。亭主は愛人ができて別居中だそうだ。すぐに「結婚しているのか?」と聞かれるのは、バリ人にとっては「もうかりまっか?」と同じような挨拶なのだろうか。日本人は「インドネシアがすき」だから好きで、オーストラリア人は好きじゃなくてアメリカ人はどっちでもないとか。こんなこと、話していいのだろうか?

とりあえず仕事が第一なので電話。2回目の電話でようやく話ができて、今晩打ち合わせをすることに。

近所を散歩してコピーサービスを見つけて企画書を3部コピーする。近くのARMAに行くと、子どもたちがダンスの練習をしていた。美術館で絵を見ていたのだが、ガムランの楽器を至る所に見つけた。どうやら総合芸術センターをめざしているらしい。

5時過ぎにホテルに戻って「スラマッ・シアン!(こんにちは)」と挨拶したら「スラマッ・ソレッ!」と直された。夕方には「こんにちは」でも「こんばんは」でもない挨拶があることが判明。

7時、<ベベッ・ブンギル>で打ち合わせ。ふたりでクリスピー・ダックなどたらふく食って飲んで17万6500ルピア。仕事は・・・なかなか難しい局面のため、作戦を大幅に変更。企画書は書き直し。


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