『中国はなぜ「反日」になったか』清水美和〔酔葉会:426 回のテーマ本〕□

短評A]“経済界や学会の有志でつくる「言論NPO」と北京大学などが北京で23日に発表した日中世論調査”[05.8.24;朝日新聞朝刊,酔葉会の当日]によると:──
──相手国に「親しみを感じる」人‥‥日本人15%;中国人12%
   ″  「親しみを感じない」人‥日本人38%;中国人63%
──日本と聞いて中国人が思い浮かべるのは‥‥南京大虐殺
  (中国人が抱く)日本政治のイメージは‥‥「軍国主義」 が最多。
ちなみに,──85%の日本人と98%の中国人が相手国に「1度も行ったことがない」と答えた;とのことだ。
B]“中国とロシアの初の本格的な合同軍事演習「平和の使命2005」が(8月)25日,8日間の日程を終えた。演習はアジア太平洋地域での両国の軍事協力関係を誇示する大規模なものだった(演習に参加したのは約1万人;うち約8千人が中国軍)”“台湾独立派や,米国による一極支配を牽制する狙いがあるとみられ,部隊上陸など台湾有事を念頭においたとみられる訓練も繰り広げられた。”[05.8.26;朝日新聞朝刊]
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 この[A][B]二つの記事は(テーマ本を選んだことと,これらの記事との間には“偶然”以外の何ものもないが)この本の内容とピッタリ重なるところがある!! すなわち,
.中国の対外政策は,中国を取り巻く国際情勢と密接不可分である。国際情勢の変化によって,その対外政策は大きく(正反対の方向にまで)転換する。
.中国国内の“言論の自由”はきびしく制限されており,同時に“情報の公開”(ことに国際情報の公開)もきびしい統制下におかれて,それらは国家最高指導者の意向にそう形で下部(国民各位)に伝達・教育される。上意下達のお国柄である。
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 日本の敗戦によって,勝利した中国は,内戦に突入し,ともかくも毛沢東・周恩来に率いられる紅軍が勝利し,共産党政権の支配する中華人民共和国(1945年)となった。その毛・周が「指導した長い時代,中国は“日本軍国主義の復活”に警戒感を隠さなかった。」しかし反日感情をあおり立てることは避け,「日本軍国主義有罪,日本人民没有罪」とキャンペーンした。一方,長い国境線で接するソ連とは厳しい緊張関係にあり,一触即発の危機をはらんでいた。そのような中で,中国が“米帝国主義”と非難していた米国と突然手を握ったのだった(1971年のキッシンジャー米大統領補佐官の秘密法中;72年ニクソン大統領が訪中)。日本もこの突然の雪解けに乗り遅れまいと田中角栄首相が訪中し,日中国交正常化(72年;日中平和友好条約に調印,78年)。
 いわゆる“ゴルバチョフ革命”に連動する形での北京・天安門事件(89年)は,大きく言論の自由化に向かうかに見えた中国の若者たちの夢を圧殺した事件として,いまも生々しい。引き続く“ソ連解体(独立国家共同体の発足)”──ソ連を中核とした社会主義圏の消滅。中国にとって,長い間懸案だった“北辺の守り”の緊張感は解かれた!(北辺への脅威がなくなっての“中国・ベトナム戦争”は中国の敗北に終わり,結果として中国は軍の兵器近代化を急ぐこととなる。)
 数次の失脚を不死鳥のようにはねのけて,トップに君臨したとう小平(とうしょうへい)は,天安門事件の直後,「われわれの最も大きな失敗と誤りは教育にあった」と語り,大胆に市場経済の導入を進め推進させる一方で,二度と若者たちが“暴乱”を起こさないために“外国(ことに日本)が中国を侵略した歴史”の教育の徹底化が図られるようになっていった。
 とう小平によって後継者に指名された江沢民の治世下になると(本人の抜きがたい日本不信もあって)抗日(嫌日!?)教育の徹底化が図られていく。産業の発展は,地域間の貧富の格差を増大させ,人民の不満は鬱積していく。その不満のエネルギーが共産党独裁政権の方に向かわないためにも,“不満のガス抜き”が必要とされる。(日本軍が,過去に不当に侵入し,残虐行為を働いた事実──その歴史の教訓は,若い世代教育の格好の材料とされてきた。)[戦後60年も経った現在,日本政治の印象を“軍国主義”と言う中国人の現実がある!! そして,それをあおるように,日本の首相を含む政治家の“靖国神社への公式参拝”が実行されるという,不毛な現実が重なる。]

 いまや日本と中国は,経済的には切り離せないほどの太い相互依存のパイプで結ばれている。中国政権の首脳部もその事情はしかと心得ていることだろう。“党中央の権威”をしっかり保ちつつ,日中経済の絆を発展的につなぎ止めていく──中国首脳部の綱渡りのような舵取りの中で,しかし,日中間の“政治的連帯”へのよりいっそうの機運は醸成されて行かざるを得まい──個人的思惑を超えて,それが“時代の趨勢”というものだろう。
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資料日本政府の対中国政府開発援助(ODA)[200年5月]
◇対中ODAは,1979年に開始され,これまでに有償資金協力(円借款)を約3兆1331億円,無償資金協力を1457億円,技術協力を1446億円,総額約3兆円以上のODAを実施してきた。
*[評者の推測では]日本から中国への多額の経済援助がこのように実施されてきたという事実を,中国の大衆にはほとんど広報されていない(中国人の大多数は知らない)のではないかと思われる。


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