『ファッション中毒』リー〔酔葉会:416 回のテーマ本〕○

 前口上]読書テーマに本書を選んだ私に,「君がファッションに関心があるとはねえ」と驚きの声をあげた人がいた(ファッションは評者・私の身なり・言動からはよほど遠い分野と見えるのだろう)。読み始めてみると,確かにはじめてお目に掛かることば(おびただしいファッション関係用語の類)に恐れをなすことばかりだったが,それらの一つ一つに細かな注記が配慮されていて,大いに感謝しつつ読み進んだ。本書の訳者(和波雅子訳)に敬意を表したい。
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1.ファッションで身をまとう
 およそ“今どきの若い女性”なら,ほとんどの人が“ファッション中毒”に犯されている“ファッション・ヴィクティム(犠牲者)”だという。服装など,日常の身体にまとう物が“気になって仕方がない”──「いつの時代も,人々,特に女性はファッションの奴隷とみなされ」てきた,という。
 ところで,そのファッションなるものは,誰が一体動かしているのだろうか。
 先端にいるのは,セレブといわれる一群の,しかし少数の人々だ。[セレブ:セレブリティ;名士,有名人のこと。売り出し中の若い女優なども,ときにその一員に数えられる。しばしば,ファッション雑誌の表紙や特集ページを飾る。]そしてその容姿が美しく魅力的であるのは,当然の条件であるが,何よりもその体躯・スタイルが“ガリガリにやせている”ことが通例とされる。(といっても,あわててガリガリなんて,不健康で本当の美しさではない!などと非難するのは当たらない。そうした話題のセレブたちの多くは,無理な食事制限などしなくてすむ,痩せのタイプの若い女性なのだから。)
 ある日突然にセレブの衣装(ファッションA)が人目をひく。評判になる(ただし,ファッション通の人たちの間で)。その噂はすぐさま多くの人が知るところとなる。(私も着てみたい!)そこで,素知らぬ表情の若い女性がファッション専門店に“たたまたま”という感じで出掛けてみると,すでにファッションA(正確には,そのイミテーション)が,しかも手が届く値段で,陳列されているではないか!
 自宅に帰って,Aを着用に及ぶ。なんと,体がはいらない。細すぎる,きつすぎる!こんなはずではないぞ。店で試着したときはうまくいったのに,なんで!? 太った自分の体が,贅肉をタップリ付けた自分の腰が太股が体の胴まわりがうらめしい!! 数10分もの奮闘後,身に付ける。キツクて,死にそうだが,そこが我慢のしどころだ。ともかく,町に出よう。

2.ファッションの魔力
 
ファッションがなぜ力ずくで,人々に訴えかけていくのか。その特徴の一二を挙げてみよう。
・人が身に付けるから,自分も手に入れる──“皆が身に付けている”ものを自分も身に付けていると,かえって“目立たなくて”安心だ。はやりのものは,一見してカッコヨイ・高価に見えるものとはかぎらない。たとえば“田舎娘”ルックがはやると,大枚をはたいてボロ(粗末)ルックを手に入れようとする(無頓着に装うことこそが極意なのだ)。
 さらに‥‥身に付けているブランドものが同じなら,仲間の顔をしていられる。
・マックファッション──「判で押したような大衆向けファッション」が世界中で増殖中。
・(服を売る側から言えば)ファッションはイメージが売れれば大成功で,(着る側は)前もって物を見なくても“好きか嫌いかに関係なく”(衝動買いで)買ってしまう。

3.ファッションの影響は広範囲に及ぶ
 
ファッションを取り巻く利害相関は,複雑にからまりあって,世界の産業や生活のすみずみにまで張り巡らされている。それは,ずっと昔から,人々の日常生活の一挙手一投足に影響を与えてきた,といってよい。本書はそうしたファッションが「いかに私たちの日常生活に入り込んでしまっているかを検証し,それが社会にもたらしたさまざまな功罪をあぶり出してみせること」という。そしてその意図はかなりの程度に達せられている,といってよいだろう。
1)商売は永遠に
 
アパレル業界(衣服産業界)に都合がよいことに,現代はスピード万能の時代。ことに「ファッションは広まるそばから流行遅れになってしまう」ために,「線香花火のようにはかないトレンドばかりが永遠に続いていくサイクルが生まれた」。トレンドは,ファッション・ショウをその突出した先端として(巧妙に演出されて),次々に生まれ変わって転がっていく。職場の中も家庭でも,ことに町なかで,ファッション情報があふれ続けていく。こうしてファッションは集団行動となる。
 一方で,ファッションを追いかけ紹介し続ける情報産業(放送・新聞・出版)にとっても,涸れることのない“メシの種”が保証される(メデタシメデタシか)。さらに近年,ジャーナリズムはファッションに対して積極的になっている。たとえばテレビでの“広告と番組の境目”は曖昧になっていくばかりだ。
2)ファッションはからだをむしばむ
 服(痩身グッズ)のせいで,世界中で何百万もの女性たちが摂食障害を患っている,という。女性たちはそれを自覚していながら(内心で呪詛のことばをつぶやきながら)新しいファッションを求めて走り続けている。(その結果,ネズミのように服をため込み続ける。)
 その走り行く先にかかげられる標語は──「服を変えれば人世も変わる!」そしてファッション・ヴィクテム(犠牲者)は,半永久的なダイエット状態におかれる。
 一方で,それをあおるかのように,雑誌業界は「“超”が付くほどの痩せたモデルを使い続け」ている。(なぜなら“健康にやさしい”太めの体型を扱い続ける雑誌など,直ぐさま廃刊に追い込まれてしまうからだ。) かくしてファッション誌の特集ページに目をさらしながら女性たちは,「こんなやせっぽちな彼女なんか大嫌い」と口に出し,「でもこんな姿になれたらいいのに!」とつぶやくことになる。
3)スウェットショップ・スキャンダル
 アパレル業界は,現在でも,スウェットショップ(低賃金・長時間労働の労働者に支えられる搾取工場)に多く依存している,という。アメリカを始めとして,世界各地における縫製業界の歴史は,労働者が劣悪の条件の中で不眠不休に酷使されるという,残虐かつ悲惨な哀史に彩られてきた。
 現今のアパレル業界での競争は熾烈だ。手をこまぬいていれば,直ぐさま劣化してしまうファッションのトレンドに置いてけぼりにされてしまう。資本は製造原価を低くするために,世界各地に進出して,低賃金の労働者をかき集めている。「底値競争はトレンドが生まれ落ちた瞬間に始まる」(アパレル製品は,製造過程をオートメ化しにくいという事情が,それに拍車をかける。)[著者が示したデータ──店で24ドルで売るシャツ製品の卸値が12ドル;メーカーは生地代に5.4ドル,利益と間接費に3ドル,残りの3.6ドルが請負業者の取り分;このうち労働者の賃金分は1.44ドル,この額は小売価格の約6%。][もう一つのデータ:ナイキなど,大企業を含むファッション・ブランド品の粗利潤(顧客が製品の製造費に加えて払う額)は通常の60%を超える,という。]
4)ハイテク革命の裏側で
 衣類など身につける製品の多くは,技術革新のお陰で,日に日に快適な品質のものに進化し続けている。「服を染めたり,強化したり,染みや皺を取ったり,防水・防火加工したり‥‥」,品質は日進月歩である。しかしその裏側で,化学物質が排水中に垂れ流しされることなどにより,大規模な汚染のリスクが広がっている。たとえば,ホルムアルデヒドであり,ポリビニルアルコールである。クリーニング業界では通称バーク(ペルクロロエチレン)なる化学溶剤が使われ続けてきた。ファッション・ヴィクティムは必要以上にドライ・クリーニングを利用している。[バークは恐ろしい健康被害の元凶であり,ヒト発ガン性が疑われている。そうしてドライ・クリーニングは環境全体への脅威だ,と著者はいう。]こうして,健康被害原因は増殖し続けるばかりである。しかし,数々の解決策を指摘する声はあるが,現実の実施に移されることはまだない。
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 以上に見てきたことは,衣服の分野に限ることではない。つい最近日本でも“履きにくい厚底靴ブーム”が熾烈を極めたように──「ファッション・ヴィクティムにとっては,美が履き心地に勝るのである。」
 「毛皮製品の流行」が「動物虐待」と直接的に結びつくことは,古くて新しい話題である。
 ここには,広くて深くて多様性に富む,ファッションにまつわる話題群がある。



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