『平気で暴力をふるう脳』ニーホフ〔酔葉会:414 回のテーマ本〕□

 自分の欲望を満たすために人殺しした男が刑務所から出所した後,しばらくして前回よりもっと凶悪で理不尽な誘拐・殺人行為を犯し,また収監される。「こんな凶悪犯は死刑にしてしまえ」と思うのに,なかなか死刑にはならない。死刑になるどころか,“強度の神経錯乱による犯行だったなどの理由で,短時日のうちに釈放”“矯正施設に収容”などということになったりする。そんなニュースに接すると,「なんと犯罪に寛容なんだろう,一体にこの国は被害者への思いやりがなさすぎるよ」‥‥正義漢になったつもりの“義憤”で,体中が熱くなる,‥‥。
                    
1.暴力は脳のしわざ
 暴力だけではない,人間のすべての行為は(偶然の外的事情による場合を除き)すべて脳によって支配されている。“歪んでいる”脳の所有者は犯罪を犯し,善良な人の脳は“正常だ”[一応この通りだが,“歪んでいる”“正常だ”というのを正確に定義するとなるとひどく厄介だが,ここでは“常識の範囲”とするにとどめておこう]。
 本書では,骨相学や優生学などの歴史的経過が,様々に紹介される。遺伝のしくみが解明されてくるにつれて,──人の性格はすべて遺伝子に書き込まれているのだとする「遺伝子決定論」が主唱されてくる。人間のこまかな行為が脳内の局所と対応して調べられてくると,脳内の一つの局所のはたらきが行為パターンの一つと対応しているとの見方(脳内の局部位と機能との一対一対応)が支配的になり,ロボトミー(脳局部の切除)が大手を振って実施されるという状況にもなる(しかしロボトミーは部分的には病状の緩和・除去には役だったが,人間性そのものを破壊する結果ともなった)。

2.氏か育ちか
 “角を矯めて牛を殺す”のでは,本末転倒だ。天才の家系というのがあるそうだから,暴力の家系,犯罪の家系というのがあるかもしれない。性根の悪い両親から生まれた子どもにはしっかりと“性根の悪さ”が植え込まれているに違いない‥‥などと早合点するわけにはいかない。
 人間の能力は生まれ落ちた時点で,その遺伝子に両親からの授かりものがしっかりと刻み込まれている。しかし,それは永久不変なのではない。加齢とともに生長していく中で,環境からの影響を強く受けながら,発現の仕方が,成熟し変化していく。
 すなわち,氏(うじ)であり育ちであるのだ。遺伝子の内容の発現の仕方は,可塑性に富んでおり,環境との対応の中で,分化・生成していく。もともと人間を頂点とする動物は「攻撃的性格」を備えている。それがないと生きていけないからだ。命をつなぐ中で,戦いをし仲直りをし協同し合い,学習しながら生長していく。攻撃された側は,ときとして心に“しこり(心的ストレス傷害,トラウマ)”を残す。人の最初の大切な環境は母親であり,ついで父親を含む家庭である。家庭内虐待を受けた子どもの脳は手痛い傷を負う。大人になってのしこりの最たるものの一つは,ベトナム戦争帰還兵などに多発したというPTSD(心的外傷後ストレス傷害)である。それらのトラウマは,時として,他人への理不尽な加害へと突っ走る。

3.ネットワークで
 海馬,偏桃体,前頭葉‥‥脳の働きは,脳の一つの部位が一つの働きを担うのではなく,ほとんどの場合に,多くの部位のネットワーク(神経内部のコミュニケーションの相互的ダイナミズム)で顕現する,ということが次第に理解されるようになってきた。人が行動するとき,脳内ではモノアミンすなわちアドレナリン・ノルアドレナリンあるいはドーパミン‥‥などといった神経伝達物質が介在する。それらの物質の多寡や連携プレーが,行動の行方を左右する(たとえば衝動的行動にはセロトニン欠乏というだけではなく,モノアミンの機能全体の乱れがからんでいる,という。ちなみに,神経伝達関与物質は50以上に及び,なお増え続けている)。

4.再生しない神経細胞
 人の行動には脳内の多くの部位が関与し,多種類の神経伝達物質が参加する。脳内のある部位が破損されると,行動に偏りが生ずる。壊れた神経細胞は再生しない。そうした中で発生する暴力は,「隔離」するしかない。しかし「孤立は暴力を生む」というから厄介だ。[「孤立は遺伝子より強力だ」と著者は言う。また,連続殺人者などに見られる捕食者(補食的精神異常者)は,社会の平穏を保つという観点からは,投獄の手段以外に方法は残されていない。]
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 犯罪が犯される可能性は,社会の中に,あふれている。多くの犯罪者は精神を病む者だ。だからといって,放置が許されるというのではない。いかに対処すべきか。しかし,真の解決策はまだない。
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 小さな事を付言しておくと,書名『平気で暴力をふるう脳』ではなくて,原著の直訳である「暴力の生物学」でよかったのではないだろうか。
 



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