『日本社会の歴史(上・中・下)網野善彦著;岩波書店刊〔酔葉会:339回のテーマ本〕〇

 人は,自分の考えは健全だとの思い込みに支えられて生きている,といってよい。しかし,残念なことに,その「思い込み」は往々にして多くの誤りを含んでいがちである。世間で広くいきわたっている思い込み,すなわち「常識」といわれるものも,誤りが多いという点で例外ではない。
 ところで,多くの日本人,ことに戦時中に生をうけて育ち,敗戦後を生き抜いてきた中高年の大人たちが「日本」について抱く見方,すなわち常識としての日本観は,おおよそ次の6つの観点にまとめることができるだろう。
1.日本は周囲とは「孤立した島国」である。だから,海を隔てた諸外国との交流は例外的・特殊的であり,日本はおおむね独立した自給自足の社会を保ってきた。
2.日本ははるかな昔から,一つにまとまった統一体としての社会の仕組みを維持してきた。それは,政治の仕組みだけではなく,社会や文化(人種や言語を含む)在り方についてもそのとおりである。
3.日本は,万世一系の「天皇」をを中心として,まとまった政治体制のもとに歩んできた。武家が実質的に国家の中枢や地方各地を支配する事態もしばしば出現したが,原則的には,それはあくまでも「天皇」を頭にいただいての武家支配の現象に過ぎなかった。
4.産業の観点では,水田でのコメ作りを根幹とした「農業」こそが国の基本であり,それ以外の産業(畑作物,布織物などのほか,金融・流通関連での経済活動,その他)は,農業立国にともなう副次的現象に過ぎなかった。
5.交通は,あくまでも陸路を中心とし(中心とすべきであり),海路(海上交通)は陸上交通の補完的な役割に留まった。
6.女性の社会的役割は,一部の文化的業績(『源氏物語』などの作品)を数えるのみで,あえて取り立てるほどのことはない。女性は,たまたま時代の流れに乗った一部のはねっかえり(北条政子や日野富子など)を別とすれば,家庭にあっての子育てこそが使命であり,男優位の社会の裏方(縁の下の力持ち)としての役割を担ってきた。
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 こうした見方は,一応もっともなように見えて,そのいずれもが,歴史の真実とは大きくかけ離れた謬見に満ちているというから恐ろしい。そうだとすれば,思い込み(いったん心に刻印された考え方)を取り除くことはむずかしいが,しかし,痛みをこらえて,歴史の真実に迫る工夫をせねばなるまい。
 そこで実際に,この書『日本の歴史』の叙述内容にそって,謬見を除去する作業に取りかかる‥‥と,つぎのような歴史の風景が立ち現れてくる。
 そのとき歴史の真実は,上記の1〜6の内容のそれぞれについて,ちょうど逆転した形の衣裳をまとって,姿を現わすのだ。すなわち‥‥
1)日本列島は大小の島々で成り立ってはいるが,昔からけっして孤立した状態にはなかった。縄文・弥生の昔から列島を取り巻く海を格好の開かれた交通路として,周辺の地域や国々と頻繁な交流を重ねていた。(だからこそ,時の支配者は,列島内の支配領域を確固たるものに留め置きたいがために,しばしば開かれた海域を閉ざそうと試みたのである。)北からはアリューシャン・カムチャッカ・シベリアと,西は日本海・東シナ海を通って朝鮮・中国と,南は琉球の島々の遥か南方の東南アジア諸地域と活発な交流を重ねていた。
2)日本はけっして昔から統一体としてまとまっていたのではなかった。“事実に即してみれば,「日本」や「日本人」が問題になりうるのは,列島西部,現在の近畿から北九州にいたる地域を基盤に列島に確率されつつあった本格的な国家が,国号を「日本」と定めた七世紀以降のことである。それ以後,日本ははじめて歴史的な実在になるのであり,それ以前には「日本」も「日本人」も,存在していないのである。”(上・序文)それどころか,文字どおりの日本全土の統一は何世紀もの後まで待たねばならなかった。
3)日本国の国造りの神話である「天孫降臨神話」が,架空のものであることは,もはやありふれた日本人の常識にすぎない。それなのに,私たちはその神話を「事実」とする荒唐無稽な認識を,明治以後の政府の指導者たちが,日本人に徹底的に教育を通じて刷り込んで,国家統制の手段として利用し尽くしてきた,という不幸な歴史を持つ。七世紀後半に初めて,“「倭」にかわる国号「日本」,大王にかわる王の称号「天皇」,そして「皇后」さらに「皇太子」がはじめて制度的に定められ”た(上・p.108)。以降の歴史の事実は,天皇親政の時代はむしろ例外的であり,武家の台頭以後は,形ばかりの最上位者にすぎず,政治の実権は多くの場合に天皇の手から離れて,武家の政権が担い(足利義満はすんでのところで自ら天皇位につくところであった),北海道・東北などの北の地域や九州南部や琉球諸島などは,長らく中央の統制の外にあった。
4)水田耕作によるコメ作りは,なるほど建て前としては,産業の根幹とされていたにしても,むしろ農業以外の各種の産業が活発に行われて,日本人の生活の極めて広範囲な部面を支えていた。畑作物はもちろん,林業,ことに水産業も広く営まれ,金融や流通の仕組みも,すでに中世において高度のレベルに達していた(日本は農業以外の面において,高度の文明の域にあった)。しかも現代にも抜き難い謬見としてある「江戸時代に確立された士農工商の身分制度」というのは,明治政府が“「士農工商」の身分制度にもとづく「封建制度」の時代として,江戸時代を全面的に否定し,欧米の諸制度を全力をあげて受容した”結果である(下・p151),という。
5)徳川幕府は,成立直後から「大名を転封によって頻々と移動させ」武家の身分を明確に定め(1635年,武家諸法度),参勤交代制を軌道に乗せる。「500石以上の大船を大名が建造することも禁止」し,「宣教師の来航禁止,武具の輸出禁止,奉書船以外の日本人の渡海の禁止」(1634年),「日本船の列島外への渡航,在外日本人の帰国を全面的に禁止」し(1635年),やがて「海禁体制(いわゆる鎖国)が完成した」(1641年)。しかし,地域間や他国間の交通という点で,その時代以前は(日本の有史以来)建て前としての主要交通路としての陸路による交通よりも,むしろ開かれた海上による交通が普遍的ですらあった(列島の周りは海ばかりである!)
6)大宝令(701年)を部分的に改訂した養老令(718年)では「女子にも遺産相続の資格を大幅に認めており,女系相続の原理がなお強く,女性の財産権が認められていた社会の実情(上・p.131)があり,「注目すべきは,こうした金融,商業の分野に女性の活動が非常に顕著であったことで,女性はこの時代(13世紀後半〜14世紀前半)も養蚕,糸・綿・絹の生産や,苧麻による織布に携わるとともに,その市庭での売買も自ら行ったのであり」「銭を資本として富裕になった女性たちも」「少なからず見い出すことができ」「とくに都市の家主には女性が浮上に多く見られる」という(中・p.178)。さらに時代を下って「江戸時代において」すら「一般の女性の貨幣,動産に対する権利が確保されていた」ようである(下・p.138)。‥‥と言うように,歴史の現実は,「女性は社会の裏方に過ぎなかった」わけではけっしてなかったことを示している(文学,あるいは芸能などの面での女性の活躍の跡をたどるには,話題が豊富に過ぎて,いささか煩瑣に過ぎることではある! 男社会を誇らしげに云々する人士は,表舞台としての政治体制の役割を重く見すぎるという通弊に陥っていることをはやく悟るのがよい)。

 通読して,いまさらのように感じるのは,日本の歴史は一面で,中央政権の奪取をめぐる果てしない攻防の歴史であったことだ。狭い島国の政治支配をめぐっての絶え間ない権謀術数が渦巻き続けてきたのに,驚きを禁じえないほどである(そして,政治的覇権への争いは,現在までも,形を変えて連綿と持続されてきてはいる)。
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 この書『日本社会の歴史』は,日本社会の歴史についての「通史」の試みの書である。一体,通史を著わすというのは,歴史の全体像についての歴史家としての標準的描像を示そうという意欲に促されてのわざであろうか。当然たいへんな力業にぞくすることではある。この書の叙述の主体は中世まで(16世紀まで)であるのは,(著者の専門領域や執筆に残された時間なのど理由であろうが)読者として多少心残りがする。
 終わりに一言,江戸幕府が強行した「鎖国」についての著者の評価だけは示しておいてほしかった‥‥というのは,この著者の力業の見事さに敬意を抱きつつも,無責任な読者の無いものねだりであるのかもしれない。

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『科学の終焉(おわり)ジョン・ホーガン著・竹内薫訳;徳間書店刊〔酔葉会:338回のテーマ本〕〇

 この本は,知的興奮を呼び起こす,たいへん面白い本だ。
 本書の意図は,科学界一般に流布されつつある見解‥‥科学の分野では,重要な法則などは発見され尽くされて,「科学最前線での探究は頭打ちになっており,残るのはそれらの応用や些末な領域での開拓だけである」という意見について,世界一流の科学者たちの反応を聞き取ろうとしたものである。その結果,本書は,広い領域をカバーしての「科学最前線の話題,総まくり」の印象をもつこととなった。
 ところで自然界には,解明されるべくしていまだに解明されえない“重大な謎”が,現に数多く残されているのに,「科学の終り」という問題意識は,どういうことであろうか。たとえば,宇宙について(ビッグ・バンの前の宇宙の姿;正確な宇宙の年齢;ダークマターの正体;光の二重性の謎;その他);太陽や地球の表面部や内部の真の構造は;そもそも重力の正体は;‥‥あるいは身近な自然,ことにヒト個個人の身体という現象,中でも「心」の現象の構造‥‥等々。なんと解明されていない謎の多さよ。
 確かに,物理学的自然観を根底から変革させるブレークスルーとなり,揺るぎないパラダイムの座を勝ち得た「相対性理論」や「量子論」の登場に比すべき,新しく革新的な理論(より高次の根本理論)は,もはや期待しうべくもないかに見える。なるほど物理学的自然観には,日々新しい修正が加えられつつあり,物理学の最終理論と一部で期待される難解な「超ひも理論」などの登場と展開もあるにはあるが(超ひも理論の推進者たちにとっては,この理論こそが,最終理論になってほしいとの熱い願望が理解できないわけではないが‥‥,そうは問屋がおろすだろうか?)。
 従来,科学の理論・法則は,常に「確かに検証される」ことを通して,新しいパラダイムの座を勝ち得たのであった。しかし,科学が対象とする領域が,より広域の宇宙の果てに,あるいはより深く極微の世界へと突き進むにつれて,成果とされる「新しい知見」は,「検証不能」の様相をはらみつつあるという。
 一体「検証不能の科学理論」ということば自体が,自己撞着であり,ナンセンスではないのか。仮に,計算と合理的推論の行き着く果てに,われわれが生存する現実のこの世界から情報交信が不能な別の世界を想定してえても,現実の世界に何らかの影響も与ええない「多世界」解釈など,果たして有意味といえるのか。(論理的な整合性を保とうとするあまりの「ことばの遊戯」にすぎないのではないか。たとえば10次元のうち6次元は,4次元の現実世界のどこかに折り畳まれて「ある」ということは,我われ凡人の嫌悪感を増幅させることではある。)
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 著者ホーガンが探訪した科学領域は,俗にいう「物理学帝国主義」ということばから想起される世界である。このことばが帯びるニューアンスは,物理学的方法こそが至上の方法として貫徹される分野である。「物理学的方法」とは,広義には“自然を扱う際の,数学を基礎とした論理的推論の仕方”であり,狭義には(数学が虚の世界にまで夢を広げるのに対し)“自然という実在の中に生起する現象の背後に,可能なかぎり単純な形の理論式(記号式)で表現される様式を見出す努力”(オッカムの剃刀)とでも表現されるだろう。さらに,見出さるべき理論式は「短く」かつ「美しく」あらねばならぬとされる。(美しく? 確かに単純な形での説明のことばは,自然を表現するための一遍の詩! とも見なされる。そこは何でもありの世界なのだ。) 
 そして,科学者たちが目指す「これが最終理論だ」の世界が,ごく単純な説明原理に還元されたその瞬間に,膨大な有象無象の意義ある事象がその周辺からこぼれ落ち,“枝葉のこと”として切り捨てられてしまう。
 ホーガンの基本姿勢は,「(重要な基本理論はほぼ出尽くしており)現在残されているのは,些末な技術的・応用的な問題領域にすぎない‥‥というところにあるようだ。その結果,彼の趣旨と衝突する科学者たちの見解は軽視され,科学者ごとの意見の取り上げ方に軽重がある‥‥という点は,読者として留意しておいた方がよい。 
 実際,大きな壁“行き詰まり”に逢着しているかに見える科学界(物理学的方法が優先される領域)の現況の背後に,実は巨大なブレークスルーが出現しようとする前夜の前兆が見てとれる,とする見解も成り立つのだから。歴史は,未来を予見しえず,いつでも過ぎ去った後から「必然」の衣裳をまとって立ち現れてくる,という皮肉な現実がある。
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 読者は,浩瀚な本書を読み進むにつれて,全編のそこかしこから,立ち上ってくる幻妙な見えないものの形を見,あるいは足音を聴くことになるだろう。
 それは「神」の足音であり,見えない「神の手」である。
 宇宙には,その本質として,秩序を生み出す傾向がある,という。そして,宇宙を不可避的に「秩序で支配してしまう」傾向の背後から,「見えない神」の存在が,立ち現れてくるのだ。実際に本書の文字の隙間からは,宇宙のあらゆる姿の中に,秩序を生み出す傾向を認めようとする「西欧的知の傾向」が二重写しになってあぶり出されてくる。もともと自然界,「秩序ある」宇宙の背景に(あるいは自然の存在,自然の生成の様式─神はエマナチオ(流出)である─の源泉として)「支配する神」を想定するのは,長い間のヨーロッパ的知性の伝統ではあった
 もっと端的に,その神の一つの別名は,たとえばダーウィン主義,あるいは「自然淘汰」の概念である。ちなみにダーウィン説というのは,そこにどんな意見でも包容してしまうような,大まかで包括的な理論である。だから,このことばの中に,様々な意匠をまとった「神」の姿を見い出す(投げ込む)のは,神や摂理の概念になじんだ西欧的知性にとっては,きわめて容易なことにちがいない。
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 終わりに─,訳文には小気味よいリズム感がある。ことに訳注はすばらしい。この訳書が名著たりえるとすれば,その名誉の一半は,訳者(竹内薫氏)の周到な配慮に帰せられるべきものであろう。 

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『文明の海洋史観』川勝平太著;中央公論社刊〔酔葉会:337回のテーマ本〕〇

 文明の成熟の経過を大観する見方として,日本は,まず和辻哲郎の『風土』をもち,梅棹忠夫の『文明の生態史観』をもち,いま川勝平太の『文明の海洋史観』をもつことになった。
 川勝はこの本で,つい数年前まで,二十世紀の日本の学会をほぼ支配し尽くしてきたといってよいマルクスの歴史的発展史観への批判を根底に置き,彼の郷土・京都の今西錦司の学統を引き継いで思想的な先輩にあたる梅棹の,生態史観の批判的・発展的継承という形で,新しい史観を提唱した,といってよいだろう。
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 言うまでもなくマルクスの史観は,19世紀の先進国・イギリスの経済・産業の実態の分析を母胎として,地域での生産力の発展度合,そして人々の意識(生活形態)の違いが,社会の発展段階の区分(アジア的,古代的,封建的,ブルジョア的という発展序列)となって表現されるとする。そしてマルクスは,近代・市民社会をもって「人類の前史」は終りを告げ,資本主義的階級社会の終焉の後で‥‥願望的な予見として‥‥人類は平等な社会の段階(社会主義・共産主義の社会)へ移行するだろうとする。
 こうしたマルクスの考え方の根底には,先行するヘーゲルの社会発展史観や疎外の考え方があり,またダーウィンの生存競争・適者生存を掲げる進化論やマルサスの原理(生物は幾何級数的に増加していく一方で,生活資料・資源は算術級数的にしか増加しない)という考え方からの強い影響がある。
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 梅棹は,たまたま学術探検隊でのアフガニスタン・パキスタン・インドへの旅の体験が契機で,世界には「西洋」や「東洋」以外の広大な地域(中洋)があり,文明の発展のスタイルとして,「地域」の差異に着目すべきことを提唱したのである。(こうした意見を支えたのは「これらの地域での生活・文明のスタイルは,いわゆる西洋や東洋とは全く違うぞ!」という新鮮な驚きであろう。)
 結果として,その見方は,いわゆる「マルクス主義的発展史観」を根底からゆさぶる衝迫力をはらんでいた。ここには,文明が発展していく道行きには,過去から未来への時間軸の方向だけではなく,乾燥地帯・湿潤地帯などといった地域・風土差の空間的な広がりが決定的な影響を与えずにはおかないことを,見いだしたのである。そこから,資本主義的先進諸国としての第一地域(西欧と極東日本)におけるのとは大きく異なる第二地域(西欧と日本との間に広大に広がる中洋地域)での社会のあり方,社会成熟の仕方の様相を描いてみせたのである。
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 川勝は,地理的には全く隔絶する二つの地域,ユーラシアの西の端のイギリスを牽引国とする西欧と東洋の果て・日本とが,あい呼応するかのようにほぼ同時期に発展し来った,その両者の間に介在する東南アジア諸地域,ことにそこでの生産物(香辛料・木綿・コメ等)に注目する。西欧と日本が共に発展し来ったのは,両者とそれぞれ「海洋」でつながった先進生産地帯としての東南アジアなしにはありえなかったことを,歴史的事実を傍証しつつ,描いてみせる。川勝によれば,従来の「陸」のみに偏った陸地中心史観のかわりに「海」からの視点の導入こそが,歴史進展の真実を知らせてくれるものとなる。
 こうして,梅棹の「生態史観」に「海洋」からの視点が大幅に加えられ,より細密な観点が付加されて,「川勝海洋史観」の誕生となった。
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 ここで川勝は,日本国内に目を転じ,現在こそが「歴史的転換期」であり,「国土構造転換」の必要性を論じて,国内の過疎地への着眼こそが,太平洋岸に偏して都市化・工業化している日本を脱皮させる新生日本への道であると提唱する。そして,その未来に日本列島を美しい「庭園の島」へと改造することへの夢を語るのだ。〔蛇足かもしれないが,言論人が現実の政治を担う側に荷担することへの意欲や喜びの背後から,政治に利用され翻弄される「あやうさ」が忍び寄ることを危惧する筆者の思いが,杞憂にすぎないことを祈るばかりである。〕

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『父という余分なもの』山極寿一著;新書館刊〔酔葉会:336回のテーマ本〕□

 「サルに探る文明の起源」という副題をもつ本書の登場によって,世界に誇るべき日本の「サル学」の現在に,また一つ実り豊かな果実が加わった。
 この本『父という余分なもの』には,アフリカ中央部での長年にわたるフィールドワークがもたらした成果の一端が披露される。
 なぜ「サル学」なのか。それは,サル(霊長類)が生物学的に,他の動物にくらべてぐーんとヒト(人類)に近い種であるからだろう。「サル」の行動・習性を調べることで,ヒトがヒトたる習性の由来,ヒトの社会の成り立ちの起源の解明に迫ることが期待される。
 ゴリラの社会では,たいていは一人の大人オスのまわりに多数のメスが群れる,単雄複雌の形をとる。そして,思春期にまで成長したメスは群れを離れて他の群れにはいっていくという「父系集団」の特徴を示す。
 一方で,群れの中にいた若いオスたちは,成長して思春期に達すると,こちらも群れを離れて,他のムレの中のメスを誘い寄せ,あるいは他のオスに率いられるムレを乗っ取り,あるいは自分が所属していたムレのボスを追い払ってムレを乗っ取ったりするなどして,自分を中心とした新しいムレを形成する。
 ただし,たまには男親に率いられるムレにいた若いオス(息子)が,男親の老衰を見守るなどの形でムレに居残り,ムレの支配権が男親から息子へ相続される場合があるという。(これは類人猿の中で,ゴリラにのみみられることで,そこに親と息子との間に「集団の継承」ということが起こりうる,ということだ。)
 こうしたことに着目する著者は,こうした父子相伝の習性が父系社会の起源につながるのではないか,という。実際に,広くサルの社会で,さらにその中でも,人類に近縁の多くの類人猿の社会においてすら,家族という社会単位は存在しないのに,ひとりゴリラの社会のみで「父親」が認知される「家族」の萌芽形が認められるとする。そうして「人類の文化は父親という社会的存在を創造することによって,家族という社会単位をつくりあげた」と導く。
 なおちなみに,遺伝的にゴリラよりヒトにより近いとされるチンパンジー(およびボノボ)の社会は,複雄複雌の群婚・混交の社会である。
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 ところで,現代生物学上の難問の一つに,オス・メスの性に分かれたか,というより,性はなぜオスの存在を必要としたか,というのがある。ここで,父という「余分なもの」ときくと,人はすぐに「余分な性」としてのオスの由来の解明が‥‥と期待するだろうか。本書では,そうした期待は直ちに裏切られる(このように書名の付け方に問題は残る)。
 さらに‥‥,霊長類(サル),その中で最もヒトに近いとされるチンパンジーではなく,なぜゴリラなのか? と問うことはおそらく愚問だろう。著者はたまたまゴリラに出会い,強い学問的な好奇心に誘われるままに,ゴリラを身近な存在として暮らし続けたからだ,というほかないだろうから。

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『カルト資本主義』斎藤貴男著;文芸春秋刊〔酔葉会:335回のテーマ本〕□

 オカルト志向はカルトを作りやすい。
 人は,眼前の物事をごく「ありのままに」見ている間にも,しばしばその背後の超自然的なもの・不可思議なものに思いを致すものらしい。そして「超自然的に見える」現象や人を驚かす奇術などといった「オカルト」ふうの現象や出来事にとらわれやすい人は,特殊で熱狂的な小集団(カルト)を作り,他の人をも仲間に呼び込んで,おのれのあやふやな思いを,強い確信にまで高めていこうとする。
 この本には,著者が自分の足で丹念に調べた,カルト志向の言説で名を成し財を成している,多くの有名人が登場する。
 一般に企業人は,従業員のわが社への忠誠心を頼みとし,その滅私奉公の働きで格段の生産性が高められることを請い願うだろう。そこで精神修行が大いに奨励され,わが社のための団結心の高揚が声高に叫ばれることになる。ビジネスのためなら,中国古来の知恵とされる「気」でも千里眼でも,格好の材料だ。ここには,そうした企業の実例として,ソニー・京セラなどといった超優良企業のトップが推進させる,カルト志向の事実が跡づけられる。さらにその舞台には,隠密の衣裳よろしく国家機関(科学技術庁)までもが出没するというから,すさまじい。
 オカルト的現象やカルト集団が信奉する超常現象は,当然に「再現性の有無こそが真偽を計るカギ」とする現代科学の探究の方法とはなじまない。超能力や永久機関実現への熱狂といったまがまがしい話題群,中でも,EM農法やヤマギシ会の周辺への探訪のレポートは,読者自身の「正常さ」をテストするという観点からも,一読に値する。

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