信仰

私は日本キリスト改革派の会員である。つまりクリスチャンなのである。

家は代々の仏教一家・・・・・。おまけに高校は仏教高であった。

このときはクリスチャンではなかったが、神様の存在をなんとなく感じていた

ので(なのか?)宗教の時間はお昼寝タイム 宗教行事は「腹痛」で前日か

らお休み予定(つまり仮病ということです・・・・・)の日々でした。

ところが・・・・・・ある障害に直面し、信仰を持つようになったのである。

しかし 私はまだ未熟者・・・・ 聖書のことも信仰のことも何も語れないので

あった・・・・

以下に私が信仰を持つようになった経過を簡単に述べておきます。

 

不思議に思っていたこと

発覚

困惑

教会へ

 

 

不思議に思っていたこと

以前から不思議に思っていたことがあった。それは・・・・

「この世はなんてうまくできているんだろう・・・・」ということであった。

そして、神様の存在を確信したのであったが、信仰にはいたらずそのまま過ぎ

ていったのであった。

 

発覚

それは、突然の出来事だった。・・

私の元彼と付き合う時、彼は「家は宗教を信じているから」ということを聞かされ

た。心の中で神様を信じていて、仏教高に通っていた私は、宗教に関して寛容

であった(つもりであった)。まあキリスト教か熱心な仏教徒なのであろうと思って

いたのであった。が・・・ どんどん話を聞いていくうちに何かが違う。おまけに彼

の話している神様とか宗教というものが私の理解していたものとどんどんかけ離

れていくのであった。おかしいぞ・・と思っているうちに、彼の家に呼ばれた。

ある写真の前で「この人を知っているでしょう」から始まったが、私にはまったく

見覚えがなかった。「知らない」と告げると「文鮮明です」といわれ、このとき彼の

家の宗教が統一協会であることを発見したのであった。

 

困惑

この時、事の重大さが分かっておらず、私は中途半端な態度を示していた。が、

だんだん重大さに気づいた私はいろいろなところに連絡・相談をした。親子2代

の会員では脱会は無理だと言われる中、必死に理解してもらえるところを探した。

その中で、聖書を知らなければ「原理講論」(統一協会の教えの本)の非も探し

出せないだろうと考えるようになっていた。もともと神様の存在を確信していたこ

とと聖書に興味があったこともあって有名な教会の牧師に連絡をとった。そこは

片道2時間かかる場所であったが、彼の脱会を考えたとき、通えない範囲ではな

かった。が、その牧師に家の近くの(といっても車で1時間かかるところであったが)

を紹介していただき、早速伺うことになった。

 

教会へ

ということで、毎週の教会に通うことになった。最初は彼を救うための目的であった

が、通っているうちに聖書の教えに感銘し、もっと知りたいと思うようになった。話を

聞いているうちに「私は神様に恵みを与えられた」と実感し、イエス・キリストを信じ、

洗礼をうけてクリスチャンになったのであった。

と、そのうちに彼の脱会は、あきらめたわけではないが、自分が救われたことのほ

うが重大に思え、そのままの状態になっているのであった。