中国雲南省少数民族文化をめぐる旅

                    
私たちを歓迎するイ族の娘たち

 わたしは、1997年以来毎年、中国雲南省に住む少数民族の文化を調査しています。雲南省は、中国の西南に位置する内陸部で、ほとんどが山岳地帯です。平均の標高が二千メートル近い高原の省で、気候は温暖、とても暮らしやすいところです。雲南省には、多くの少数民族が暮らしていて、この少数民族の文化がいろいろな意味で注目を集めているのです。
 かつて「照葉樹林文化」なる言い方が流行り、雲南省は、日本古代文化のルーツではないかといわれたことがあり、いまでもそのような説を唱える人がいます。
 ルーツかどうかはともかくも、日本の文化とかなり似かよっているのは確かです。少なくとも、少数民族文化の調査は、日本の文化そのものを問い直すきっかけになるかも知れません。
 わたしは、主に、彼らの、神話や儀礼、歌などを調査しているのですが、その中でも、イ族の宗教儀礼や神話、そして、白族の宗教や歌垣に興味を持っています。特に、白族の歌垣の調査は毎年行っていて、かなり成果があがっています。その一つの成果として2000年の五月に大修館書店から、『雲南省少数民族歌垣調査全記録』がビデオ付き(ビデオは別売り)で出版されています。

 わたしが雲南に行くようになったのは、古代文学の研究者である工藤隆氏のすすめによるものなのですが、行ってみると、確かに、雲南には古代が息づいていました。私の言う古代とは、単に歴史的な古代を意味するのではありません。それは、われわれの生のシンプルさとでもいうものです。あるいは、生活の中にアニミズム的な神が組みこまれているというような社会の姿です。
 それらの古代的様相とは、現代にあっては、実は貧しさによって近代化に乗り遅れた文化の別名なのですが、近代化の行き着く先が不透明な今、少数民族の一見停滞した文化も、実は、何周か遅れたがために、トップになってしまった、というようなこともあるやも知れません。なぜなら、彼らの社会は、エコロジーそのものですし、自然宗教(アニミズム)を組みこんだ生活形態は、彼らの生に十分な精神的深みを与えているからです。文字を持たない彼らは豊かな口承文芸を持ち、その口承文芸は、単なる娯楽ではなく、たとえば、歌垣での歌の技術に取り入れられるなど、彼らの恋愛や結婚すなわち彼らの人生そのものに直接的な影響を与えているものなのです。
 
 そのような彼らの生活や文化を理想と言ってしまうのはとても危険ですが、だが、見た目であれ、それが理想に見えるというわれわれの生の病はかなり深刻なのです。この病の度合いにおいて、少なくとも、少数民族は、われわれより健康であり、精神的に豊かです。それは、老人達の顔をみれば一目でわかります。日本の老人達の、あの居場所がどこにもないようなどこか苦痛にゆがんだ顔とはまったく違う、労働の厳しさから逃げない強さと、くったくのない明るさとを湛えた少数民族の人たちの顔は、日本の老人と比べると、本当にうらやましくなるくらい、幸福そうに感じます。
 少数民族の文化を調査する動機としてはこれだけでも十分でしょう。むろん、彼らが未だに伝えている、神話や歌や、宗教は、日本の古代を解き明かす貴重な資料ですし、あるいは、文化人類学的に、文化それ自体の普遍性の解明にとっても貴重な資料でしょう。が、実際に行ってみれば、それらは二次的なことに過ぎないことが実感されます。このような人たちと出会って通じあえる何かを得た感触こそが、何よりも大切だということです。

 「少数民族」という言い方は、実は、マイノリティを呼ぶ言い方であり、マジョリティであるわたしたち、そして中国に対する侵略の歴史を背負うわたしたちにとっては、それを使うにあたって注意深くあらねばならない言葉なのですが、しかし、呼び方に慎重であるあまりに、結局は国境を越えられずに、彼らと出会えないということは不幸なことです。呼び方に鈍感であってはならないのですが、とりあえず「少数民族」という言い方は、一般に通用している分類概念であり、それ以上の意味を込めない、という自覚のもとに使われるべきでしょう。なによりも大事なのは、彼らと出会うことであって、その出会ったことの様々な実感を率直に公開することです。そこに、政治的な意味や歴史的な問題を過剰に込めるとき、出会いそれ自体が建前になり、それぞれが国家や民族を背負い、結果的に距離を埋める努力を放棄したくなってしまいます。
 国家や民族を背負うなと言っているのではありません。いつも背負って生きているわけでもないのに、時々背負ったりするのは、その時は背負わないと何か都合が悪いときなのだと考えるべきです。むろん、背負わざるを得ないときもあります。しかし、少数民族の人たちと出会うときがそうだとは思いません。

 少数民族の文化の多くは、国家や民族という理念とは無縁のところで成立し存在している文化です。別な意味では、生活と切り離されていない文化と言ってもいいでしょう。それは、彼らのほとんどが国家を作らなかった、もしくは作れなかったということと関係しているでしょう。それは近代化に遅れ貧しいということでもありますが、逆に言えば、国家を維持するための抑圧や残虐さから免れている幸運さでもあるでしょう。むろん、少数民族も同じ人間である限りにおいて残虐でないということはないとは思いますが、ただ、国家というシステムにかかわる罪悪から免れているのは事実です。
 その少数民族が、自らの幸運をどう自覚し、どのように他の民族や異文化の人々に自らを開いていくのか。やはり、国家をつくるという欲望に勝てないのか。あるいは、国家というシステムを経由しないで、国境にとらわれない開き方ができるのか、たぶん、うまくやればできるのではないか、とわたしなどは思っています。近代化の波の中で、自分たちの固有な文化をどう自覚化し、それを失わないままに物質的な豊かさを受け入れることができるのか、こういう先進国がなしえなかった課題についても、ひょっとしたら、彼らはいい知恵を出すのではないか、と期待するところはあります。が、こういう課題は、あくまでわたしたちの独白に近い課題であって、その期待を少数民族の人たちにぶつけるにはかなりの手続きが必要です。それこそ、本音をぶつけ、それを許容しあえる関係がないところでは、ぶつけるべきではないでしょう。建前的な関係のあいだでは、こちらの意図は伝わらないと考えるべきです。

 さてさて、なぜ、わたしが少数民族調査をしているのか、ということの理由をくどくどと述べてしまいました。まだ、わたしが、本当の意味で彼らと出会っていないことのこれは証左です。が、だからといって今のところ出会うことをあきらめる気はありません。何人かの友人もできましたし、そのうち出会いと言えるような瞬間があるやもしれません。その時を楽しみに、しばらく中国に通ってみるつもりでいます。
                      
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