白族(ぺー族)は歌を歌う

今年も石宝山のの歌垣に行ってきた。私は今年ですでに4年目になる。政府の肝いりで、催しは盛んになっている。剣川県にとって、この歌垣の祭りは重要な観光資源なのだ。各地から有名な歌い手が招待され、歌の大会が催される。歌手たちは、あいまをぬって、会場のあちこちで、歌を掛け合う。この写真もそのような一こまでである。三弦をもった歌い手は、ほとんどセミプロの歌手。その歌手とたぶん近くの村からきた女達の一人と歌を掛け合っている。歌っている女性は、向かって右はしの人。歌はとてもうまかった。われわれが取材してから、一時間は歌が続いたろうか、男は、忙しいらしくそそくさとこの場を離れていった。
 われわれは、早速この女性に取材した。しかし、彼女たちは、ほとんど、漢語が話せない。村と名前を聞くのがやっとだった。
これは、小石宝山の歌会でも同じだった。歌い手にインタヴューをすると、彼らは漢語がわからない。だから、通訳の張さんもこまってしまう。
 張さんの説明によると、歌を歌える人達は、たぶん学校にいっていない、ということだった。学校に行っていれば、漢語を習うから通じないということはない。つまり、こうも歌のうまい白族の村人が漢語を話せないということは、彼らは学校に行っていないから、というのだ。
 実に単純明快だが、この説明には、本質的な問題が潜んでいる。白族の歌の祭りの行われた小石宝山で、高校を出た白族の青年と話をした。彼は雑貨商を営んでいる。当然白語は話せるが、おなじような年の連中が歌っている歌の言葉が分からない、といっていた。ちょっとでも、白族の村の生活から離れると、歌は歌えなくなってしまう。そういう現実がそこにはある。
 歌が歌える、ということは、漢語を習う必要を感じないくらいに、自分たちの村の中で一生を過ごすということだ。歌を歌うということの重さというものがわかるではないか。
 そういう宿命を脱する方法は、うまい歌い手になって、村を出て活動が出来るようになることである。このセミプロの歌手のようにだ。むろん、そのような選択はいつも厳しい。2000.8.27 石宝山の会場で。