日本人の兵隊が住んだ家

 麗江から車で4時間ほど、四川省に近い戦河という小さな街の近くの農家。実は、この農家は地元では有名で、かつて、この農家には日本人が住んでいたというのだ。その日本人は、戦争が終わったとき、一人でここまでやってきて、ここに住み着き、この農家を建てて一人で暮らしていたということらしい。地元の人は彼を日本人だとは思っていなかった。しばらくして、地元で彼が日本人らしいことがわかり、調べたところ、彼の素性がわかったということだ。老人になった彼はここで死に、その遺骨は、日本の親戚に引き取られた、というのが、地元の人に聞いた、物語のあらましである。この話を聞いて、この農家を訪れ、今住んでいる人に話を聞いた。今の住人は、やはりおなじような話をわれわれに語った。この農家の壁に描かれたマークは日の丸なのだと地元の人は語った(イ族は壁に時々このようなマークを入れる。従って、必ずしも日の丸とは言えないのだが、そこは物語的な装飾と考えればいい)。その日本人の兵隊は、たぶん、ビルマあたりからここへと逃れてきたのだろう。少数民族にとって、日本語は、他の少数民族の言葉としてしか理解されない。少数民族の中に逃げ込んだことがたぶん幸いした。だから、彼は、ここで長い間住むことができたのだと思われる。ここで孤独に半生を過ごした、日本人の兵隊のことを思うと、深い感慨にとらわれた。2000.8.22 小涼山 戦河にて