紀伊 銭坂城



お城のデータ
所在地 和歌山県橋本市野
遺 構 曲輪、土塁、横堀、竪堀
形 式 平城 築城者: 生地俊澄 築城年代: 永享年間


見 ど こ ろ
( 銭坂城からの眺望 )

 銭坂城は、西から東へと流れる山田川に沿って半島状に伸びた河岸段丘の先端部を利用して築かれている。

 城の縄張りは、大和街道を城内に取り込み鈴鹿神社境内となっている所が城の西端に当たり、神社境内には土塁が残ってる。 土塁の外側には横堀があり、ここで地続きの西側の台地と城域を区画している。 また、神社入口には「生地石見守」の石碑が立てられていた。

 神社から東側の住宅地と畑地となっている一帯には二つの曲輪があったが、この曲輪を隔てていた空堀は近年に埋められてしまったとか。 畑地の東側は民家敷地となっているが、敷地内の高台が櫓台とされている。(民家敷地内なので立入は遠慮した)


歴     史

 銭坂城は、永享年間に生地俊澄によって築かれた。 生地氏は、元は坂上氏を称して畑山城を居城していたが、南北朝時代には南朝方に与して没落するが、俊澄の代に紀伊守護畠山基国に属して戦功を上げ旧領を回復して相賀の地に新城を築いた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR和歌山線・南海電鉄高野線橋本駅〜バス/城の内住宅前
 車 : 京奈和道橋本IC〜国道371号線〜国道24号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
生地氏を再興した中興の祖俊澄が築いたお城。

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