信濃 吉岡城



お城のデータ
所在地 長野県下伊那郡下條村陽皐字吉岡
遺 構 曲輪、空堀
形 式 平山城 築城者: 下條康氏 築城年代: 文明7年


見 ど こ ろ
 
 吉岡城は、北の沢川と南の沢川に挟まれた台地上に築かれた城だ。 現在、主郭部が吉岡城趾公園となっている。

 吉岡城は、台地の西から二つの出郭・主郭・二の郭と曲輪が配置された連郭式縄張りで、曲輪がそれぞれ空堀によって防御されている。

 城の遺構は、主郭部の半分が国道の切り通しとなってしまっているが、主郭虎口部の空堀と主郭背後の出郭との間にある空堀がよく残っていた。 また、二の門外が城下町で枡形の跡や上町・屋敷町・大手・大手裏・竪町・横町等の地名が残っている。


歴     史

 吉岡城は、文明7年に下條康氏によって築城され、以後7代112年間下條氏の本拠地となった城である。

 下條氏は、甲斐源氏小笠原氏の庶流で、六代康氏が深志小笠原政康の子で文明2年に下條家を継ぎ、居城を大沢から吉岡に移した。

 九代信氏は、武田信玄の妹を妻に迎え信玄の伊那先方衆として武功をたてたが、天正10年の織田信長の信濃攻略に際して、家老の謀反にあい三河に逃れたが彼の地に没した。

 下條頼安(信氏の次男)が、天正10年の本能寺の変後に徳川家康の助勢を得て吉岡城を奪回した。 しかし、天正12年に松尾城で謀殺され、天正15年に下條氏は改易となった。 その後、吉岡城は幕府領の代官所等にあてられていたが、寛永年間に旗本知久氏によって取り壊された。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線天竜峡駅〜タクシー約15分
 車 : 中央道飯田IC〜国道153号線〜国道151号線
駐車場: 吉岡城址公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
本丸が国道に分断されてしまっても空堀は今も残っているお城。

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