安芸 吉田郡山城



お城のデータ
所在地 広島県安芸高田市吉田町吉田
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、井戸
形 式 山城 築城者: 毛利時親 築城年代: 建武3年


見 ど こ ろ

 郡山城は、中国の覇者毛利氏の本城だけにともかく広い。 城の破却で城の遺構はほとんど壊されているが、郡山全山に多数(約130)の曲輪が今も残り、この城の規模や構造が容易に推定できる。

 郡山城は、郡山山頂に本丸(2段に分かれている)・二の丸・三の丸が置かれ、これらの曲輪は石垣造りであった。 この主郭部を中心にして、放線状に支尾根の曲輪群が築かれている。

 中でも尾崎丸には毛利隆元の居館があり、背後に空堀を設けた縄張りになっている。

 郡山の東南下の支尾根に2筋の堀切で背後の防備とした旧本城がある。 連郭式の縄張りで曲輪群が配置されている。 支尾根は、深い谷に挟まれた半島状の地形をしていて、国人毛利氏の身代に見合った城の規模であるが、なかなか堅固な構えとなっている。

 郡山城西南麓に「県立少年自然の家」が建つが、ここが元就の居館「御里屋敷」跡で、ここから登れば毛利隆元の墓所、そして更に「百万一心」の碑がある毛利元就、毛利一族の墓所へと至る。

 郡山城、ともかくじっくりと時間を掛けて散策したい城の一つだ。


歴     史
(現地案内板より)

 郡山城は、建武3年に安芸毛利氏の祖、毛利時親が所領の吉田庄に下向して築城、以後毛利氏代々の居城であった。

 大永3年に12代当主となった毛利元就によって毛利氏は勢力を拡張し、これに伴って大永年間に、郡山全山に城域が拡大された。

 天文9年に出雲富田城主尼子晴久が郡山城を攻めた郡山合戦では城兵・領民8,000人が籠城できる程の規模の城であった。

 元亀2年に元就が没し、孫の輝元が当主となると、中国の覇者毛利氏の居城として、石垣の構築や瓦葺きの建物などの大改修が行われたが、天正19年に輝元は居城を広島城へと移した。

 慶長5年、関ヶ原で敗れた毛利氏は防長2国へと減封され長門萩に移り、吉田郡山城は元和の一国一城令により廃城となった。 更に、寛永14年の島原の乱以後、切支丹宗徒の利用を恐れ、再度徹底的な破却が行われた。

 幕末の文久3年、広島新田藩浅野長厚は郡山山麓に陣屋(現吉田高校敷地)を設けた。 現在、陣屋は堀跡が一部確認できる。


お城へのアクセス
鉄 道: JR芸備線吉田口駅、JR山陽本線広島駅〜バス/吉田町役場前
 車 : 中国道高田IC〜県道6号線
駐車場: 吉田町歴史民俗資料館 or 郡山城の無料車場を利用。


ひとくち MEMO
中国の覇者毛利氏の本城。 毛利元就の墓所には「百万一心」の石碑がある。

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