伯耆 米子城



お城のデータ
所在地 鳥取県米子市久米町
遺 構 天守台、曲輪、石垣
形 式 平山城 築城者: 吉川元春 築城年代: 天正年間


見 ど こ ろ

 米子城は、3つの城からなる城だ。 湊山に築かれた本丸、丸山に築かれた内膳丸、そして飯山の出丸だ。 これらの3つの山の谷間に二の丸・三の丸が築かれ、一つの城となっている。

 米子城は、中海を背に周囲に掘られた水濠(現在は埋められてしまった。)には海水が引き入れられた浮城であった。

 米子城は、中村氏が建てた天守と吉川氏が建てた天守が並立して、明治に廃城となるまで本丸にその姿があり、古写真でみることができる。


歴     史

 米子城は、天正年間に吉川元春によって飯山に築かれた。 元春の子広家は、出雲月山富田城を居城にしていたが、天正16年、飯山の峰続きの湊山に新城を築いた。 これが現在の米子城だ。

 慶長5年、関ヶ原で敗れた吉川広家は周防岩国へ移り、替わって駿府城主中村忠一が伯耆一国175,000石を領して入城する。 中村氏は工事半ばの米子城築城を継続し、四層五階の大天守を築き、米子城を完成させた。

 慶長14年、中村忠一は20歳の若さで急逝、嗣子無く中村氏は断絶した。 米子城へは中村氏に替わって加藤貞泰が6万石で美濃黒野から入封するが、元和3年、大坂の陣で戦功により加増され伊予大洲へと移った。

 加藤氏転封の後、因幡・伯耆は鳥取城主池田光政が領し、米子城へは池田由之(後、下津井城主)が城主となった。

 寛永9年、池田光仲が備前岡山から鳥取に入ると、米子へは筆頭家老荒尾成利(15,000石)を城主とし、荒尾氏が代々相続して明治に至った。 


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線米子駅〜バス/医大前、久米町
 車 : 米子道米子IC〜国道9号線
駐車場: 湊山公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
天守台から南に大山、北に中海を一望することができるお城。

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