大和 柳生城



お城のデータ
所在地 奈良県奈良市柳生町
遺 構 曲輪、土塁、堀切
形 式 山城 築城者: 柳生氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ

 柳生城は、柳生氏の菩提寺芳徳禅寺の東南の丘陵に築かれており、正木坂道場の東側にある井戸小屋脇から50mも登れば、南の空堀に至る。

 城の縄張りは、山頂部に腰曲輪を伴う主郭を中心にして南北に南曲輪を置き、北の尾根筋には2本の堀切を設けてている。 これらの曲輪群の西側にある芳徳禅寺も正木坂道場も曲輪の一つであった。


歴     史

 柳生城は、築城年代は定かでないが、大膳永家が小柳生庄の荘官に任じられ、その子孫が後に柳生氏を称した。

 戦国時代、須川城主簀川氏を中心に山中諸氏は、国中に勢力拡大を図る筒井城主筒井順昭に敵対する。 天文13年に筒井氏の大軍に攻められた柳生家巌・宗巌父子は、善戦するも落城し、柳生父子は筒井氏に降った。

 永禄2年、松永久秀が信貴山城を修築して大和侵攻を開始すると、柳生家巌・宗巌父子は松永氏に与し、永禄6年の多武峰合戦に出陣した宗巌は、傷を負いながらも奮戦し戦功を上げた。 

 その後、元亀2年の辰市合戦にも宗巌は松永久秀に味方し筒井順慶と戦った。 この合戦で松永方の敗北、宗巌の嫡男巌勝が負傷した。 その後、天正13年に柳生宗巌は秀吉により所領没収となるが、慶長5年に関ヶ原の戦功により宗巌の五男宗矩が柳生家再興を果たし、柳生陣屋を構えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR関西本線奈良駅、近鉄奈良線奈良駅〜バス/柳生・正木坂
 車 : 西名阪道郡山IC〜国道24号線〜国道369号線
駐車場: 奈良市営有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
剣豪柳生石舟斎の居城。

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