豊後 臼杵城



お城のデータ
所在地 大分県臼杵市臼杵
遺 構 曲輪、復元櫓門、現存櫓2基、石垣、空堀、堀
形 式 平山城(海城) 築城者: 大友宗隣 築城年代: 永禄5年


見 ど こ ろ

 臼杵城は、海に浮かぶ城をイメージしていたが、今では町の中に浮かぶ城だ。 ただ、本の丸東側は500mほどで海。 臼杵湾を望む光景はなかなかのもの。

 臼杵城は、東西に長く臼杵湾に浮かぶ四面断崖となっている丹入島に築かれ、唯一西側に橋を架けていた。 稲葉氏修築の際に古橋口西側の洲に三の丸が拡張された。

 丹入島には西から二の丸・本丸が置かれ、二の丸と本丸の間には空堀が掘られ、今もこの遺構は良く残っている。 本丸東隅にある卯寅口(搦手口)は、海に向けて開かれ海への玄関口でもあり、落城となった時の脱出口でもあった。

 近年、臼杵公園として整備され、天守台と空堀の石垣、着見櫓台の石垣など近世城郭へと修築された様子がよく分かる。 二の丸大門も復元され、現存する畳櫓と卯寅口門櫓と共に臼杵城のシンボルとなっている。


歴     史

 臼杵城は、永禄5年に大友義鎮(宗麟)によって築かれた。 毛利氏と豊前門司城をめぐる戦いに大敗した宗麟は、毛利氏の豊後侵攻に備えて、臼杵湾に浮かぶ丹生島に築城し、それまでの大友氏代々の居城府内城からこの城に移った。

 天正6年、大友氏は日向耳川の合戦で島津氏に敗れて以後勢力は衰退し、ついに天正14年には宗麟在城の臼杵城も島津氏に攻められ、落城こそ免れたが城下は兵火に焼き払われた。 宗麟は、翌年に津久見館へと移り同年に没した。

 文禄3年に大友義統が除封された後、福原直高・太田一吉らを経て、慶長5年に稲葉貞通が美濃郡上八幡から5万石で入封した。 稲葉貞通・典通父子は2代に渡って臼杵城を修築し、以後稲葉氏が14代続いて明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR日豊本線臼杵駅〜徒歩約10分
 車 : 大分道宮河内IC〜県道21号線〜国道217号線
駐車場: 城跡前稲葉屋敷付近の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
大友宗麟が築いた海に浮かぶ居城。

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