三河 亀山城



お城のデータ
所在地 愛知県新城市作手清岳字城山
遺 構 曲輪、土塁、空堀
形 式 平山城 築城者: 奥平貞俊 築城年代: 応永31年


見 ど こ ろ

 亀山城は、道の駅「つくで手作り村」の東側に見える小高い丘に築かれている。 南側から伸びる丘陵の先端部に位置し、谷によって城域が確保され、南側に家臣の居館跡であろう馬呂遺構がある。

 城の縄張りは、丘の頂上部に土塁が囲繞した長方形の主郭を置き、東側に二の曲輪を配し、主郭・二の曲輪には帯曲輪が数段配されている。 

主郭西側の虎口受けの小曲輪は空堀を伴う馬出状の曲輪となり、空堀は主郭南側へ堀底道としても利用されている。 この主郭南側の虎口付近、そして空堀辺りの遺構がこの城で一番見応えがあった。


歴     史

 亀山城は、応永31年に奥平貞俊によって築かれた。 奥平氏は、上野甘楽郡奥平郷を本貫地としていたが、貞俊の時に作手に移り、当初は川尻城を本拠とした。

 その後、亀山城を居城として作手36ヶ村と宝飯郡の一部を領し、貞俊−貞久−貞勝−貞能−貞昌(信昌)と5代にわたって奥平氏の本拠となった。

 天正元年、武田信玄の没後、奥平貞能・信昌父子は武田氏を離れ、徳川家康に帰順し、家康は信昌を長篠城主とした。 天正3年、武田勝頼が長篠城を囲み、織田徳川連合軍との戦った長篠の合戦で戦功をあげた信昌は、戦後新城城を築いて移り、家康の長女亀姫を正室に迎えている。

 慶長7年、奥平信昌の四男松平忠明が城主となり17,000石を領した。 慶長15年、忠明が伊勢亀山へ移封となり、作手亀山城は廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 新東名高速新城IC〜国道151号線〜国道301号線
 車 : JR飯田線新城駅〜バス/つくで手作り村
駐車場: 亀山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
山家三人衆の一つ奥平氏の本城。

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