加賀 津幡城



お城のデータ
所在地 石川県河北郡津幡町清水り102
遺 構 曲輪
形 式 平城 築城者: 平家軍 築城年代: 寿永2年


見 ど こ ろ

 津幡は、金沢から能登・越中への交通の要衝で、これは源平合戦の時代から現在に至るも何ら変わらない。

 現在、津幡城は津幡小学校の敷地となっていて、小学校校門内の前庭左脇に一段高くなったところに石碑があり、高台の下に説明板が建てられている。

 城の遺構は何も残されていないが、津幡小学校の敷地は、今でも周囲より約5メートルばかり高い台地となっていて、わずかにここが津幡城であった面影を伝えていてくれる。  


歴     史

 津幡城は、寿永2年の源平倶利伽藍合戦の時、平家軍が津幡に陣を張ったことに始まる。

 建久元年、加賀井上庄の地頭都幡(津幡)隆家が居城し、南北朝の観応2年には、富樫氏春がこの城にて桃井直常の上洛を阻止した。

 戦国時代には、一向一揆の立てこもる城となったが、天正9年に織田信長の加賀侵攻時に、柴田勝家・佐久間盛政・長連龍の3軍に囲まれ落城した。

 天正11年、金沢城主前田利家の持城となり、利家の弟前田秀継が城主となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR七尾線中津幡駅〜徒歩
 車 : 北陸道金沢東IC〜国道8号線〜国道159号線
駐車場: 津幡小学校来客用の駐車場を利用。


ひとくち MEMO
源平倶利伽羅合戦の時から戦国時代まで続いたお城。

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