肥後 富岡城



お城のデータ
所在地 熊本県天草郡苓北町富岡
遺 構 曲輪、石垣、堀切
形 式 山城 築城者: 寺沢広高 築城年代: 慶長10年


見 ど こ ろ

 富岡城は、砂州で繋がった典型的な陸繋島の東側山頂部に本丸・二の丸・ 出丸を置き、山麓に三の丸を配置して、百間土手(石垣造り)で溜池を造って内堀とした。

 大手門は細長い砂洲に、置き志岐方面(天草下島)からの防備としたなかなか堅固な構えの城だ。

 訪れたときには、山頂部の城域を発掘調査が行われ、現在本の丸石垣が完全に復元されていた。 

 二の丸は、西面の石垣が復元され、東面が復元中であった。 城の復元計画は、石垣だけでなく櫓や城門も企画されているようだ。

 しかし、新しい石垣(出土した築城時の石も使用されている)を見ていると、 長い年月風雨にさらされた石垣を見慣れているだけに違和感を感じるが、城の築城されたばかりの状態とはこのようなものだったのだ、と妙に納得させられた。


歴     史

 慶長5年、肥後宇土城主小西行長は関ヶ原で敗れ改易になると、天草領は、肥前唐津城主寺沢広高の領地となった。

 広高は、天草領42,000石を支配するため、慶長10年に完成させたのが富岡城である。

 寛永14年、島原の乱が起きると一揆軍は富岡城を攻めたが、城将原田伊予は富岡城を守り抜いた。

 寛永15年、島原の乱が鎮圧されると、寺沢堅高はその責任を問われ改易となり、富岡には備中成羽より山崎家治が4万石で入封しる。 家治は城の改修を行ったが、わずか3年で讃岐丸亀に転封になり、この地は天領となった。

 寛文4年、戸田忠昌が三河田原から21,000石で入封する。 寛文11年、忠昌は城を破却し、幕府に「天草は永久に天領たるべき地」と建議して、常陸下館へと領地替えとなった。 以後、忠昌の建議通り天領となった。


お城へのアクセス
鉄 道: フェリー利用 口之津港〜鬼池港、茂木港〜富岡港
 車 : 九州道熊本松橋IC〜国道57号線/三角〜国道324号線
駐車場: 麓と二の丸下にある無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
江戸時代の絵図を基にした発掘調査の結果、見事に石垣が復元されたお城。

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