河内 千早城



お城のデータ
所在地 大阪府南河内郡千早赤阪村千早
遺 構 曲輪
形 式 山城 築城者: 楠木正成 築城年代: 正慶元年


見 ど こ ろ

 鎌倉幕府の大軍が攻めあぐねた城だけのことはある。 四方を絶壁の谷に囲まれ、唯一城の背後のみ細い山道(現金剛山登山道)によって金剛山山頂へと通じている。

 城への大手道は、約500段の石段が後世に造られたが、ほぼ直登する道はともかくきつい。

 石段を登りきった所が四の丸で城内で一番広い曲輪だ。 現在城跡は千早神社の境内となっていて、社務所付近が三の丸、神社社殿付近が二の丸、社殿の背後が本丸となっている。


歴     史

正慶元年、千早場は楠木正成によって築かれた。 この千早城が楠木氏の詰城、本城が上赤阪城、出城が下赤阪城だ。

 正慶2年、鎌倉幕府の大軍を僅か千人足らずの小勢で奇策を用いての攻撃により100日に及ぶ千早城籠城戦を行ったことで有名だ。 鎌倉幕府滅亡の切っ掛けともなった。

 建武以後、千早城は楠木氏の根拠地となったが、明徳3年、楠木正勝の時に北朝方の畠山基国によって攻められ落城した。 楠木正成が築城して以来、60年に渡って楠木氏の詰めの城であったが、この落城により廃城となった。 


お城へのアクセス
鉄 道: 南海高野線河内長野駅、近鉄長野線富田林駅〜バス/金剛登山口
 車 : 阪和道美原北IC〜国道309号線/千早赤阪村森屋〜府道705号線
駐車場: 金剛山登山口前に有料駐車場多数あり。


ひとくち MEMO
鎌倉幕府崩壊の引き金となった楠木正成の築いたお城。

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