筑前 立花山城



お城のデータ
所在地 福岡県糟屋郡新宮町立花口
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 立花貞載 築城年代: 建武年間


見 ど こ ろ

 立花山城は、福岡市と新宮町の境に聳える立花山に築かれている。 この城は、「一城別城」の縄張を持つ九州でも一二の規模を誇る中世城郭だ。 山頂からは玄界灘まで一望でき、大陸貿易で栄えた博多の町を見下ろす要害だ。

 縄張は、立花山の大小7つの峰々に曲輪が築かれ、井楼山に築かれた曲輪群が立花山城の本丸だ。 ここから北側の尾根筋にある「イバノヲ・大タヲ」と呼ばれる曲輪群を経て松尾山の曲輪群と繋がり、立花山城の中枢部を形成している。

 南斜面に向けて「大つぶら・小つぶら」と呼ばれる曲輪群が尾根筋を幾段にも削平して階段状に連なっている。 小早川隆景による改修ににより、これらの曲輪群には、随所に石垣が積まれ、横矢掛かり・外桝形虎口・食い違い虎口など織豊系の築城様式が見られ、見どころ満載の一城であった。


歴     史

 立花山城は、建武年間に立花貞載によって築かれた。 貞載は、豊後守護大友貞宗の次男で豊前宗像郡の立花山を居城として立花氏を称した。 立花氏は、以後「西の大友」とも云われ大友一族の中でも重きをなした。

 戦国時代、大友氏は大内・毛利氏と筑前の覇権を巡り戦いを繰り返すが、永禄8年に立花鑑載は大友宗麟に謀反を起こすが敗れ降伏する。 しかし、翌年に再度叛旗を翻したが鎮圧され自刃した。

 永禄9年、宗麟は立花氏の名跡を戸次鑑連に継がせ立花山城主とした。 鑑連は天正2年に入道して立花道雪と称した。 天正13年に道雪が没し婿養子統虎(宗茂)が家督を継ぐ。 翌年、九州制覇を目指す島津氏に立花山城は包囲されるが抗戦を続けた。翌年の豊臣秀吉による九州征伐後、この戦功により立花宗茂は筑後柳川城主となった。

 代わって小早川隆景が筑前一国と筑後二郡を領して立花山城主となる。 翌16年に名島城を築いて居城を移すが、立花山城は支城として大改修が施された。 その後、慶長6年に黒田長政の名島城廃城と共に廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: JR鹿児島本線筑前新宮駅〜バス/立花山
 車 : 福岡都市高速1号線香椎東IC〜国道3号線/須川〜県道540号線
駐車場: 立花山登山者用の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
「西の大友」立花氏の居城。 

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