信濃 竹佐陣屋



お城のデータ
所在地 長野県飯田市竹佐
遺 構 曲輪、石垣、移築門
形 式 陣屋 築城者: 松平義行 築城年代: 天和2年


見 ど こ ろ

 竹佐陣屋は、山本小学校北西の住宅地内にある田府高屋集会所から東側の水田一帯に築かれていた。 集会所から東側から東側の地形は舌状台地の先端部で、北側斜面を切岸として加工している。

 集会所右手の農道を進むと「竹佐陣屋」の道しるべがあり、その先に陣屋先端部(東面)を固めた石垣の遺構が今も良く残っている。

 竹佐陣屋門が、久米地区にある光明寺に移築され現存している。 今も三葉葵の御紋の瓦が屋根に葺かれている。


歴     史
(光明寺山門)

 竹佐陣屋は、天和2年に松平義行によって築かれた。 義行は、尾張徳川光友の次男で、天和元年に信濃伊那・高井・水内郡内で3万石を与えられ、竹佐に陣屋を構えた。

 元禄13年、信濃高井・水内郡内の所領15,000石を美濃高須に移され居所も高須へと移したが、伊那郡内の所領の変動はなく、采地陣屋として明治まで存続した。

 義行の家系は、四谷(高須)松平と呼ばれ、大久保松平・川田久保松平と共に尾張家分家。 四谷家が分家筆頭で、他家が絶家となったがこの家系は代々続き13代義勇の時明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR飯田線飯田駅〜バス/鈴木家前
 車 : 中央道飯田山本IC〜国道153号線
駐車場: 田府高屋集会所の駐車場を利用。


ひとくち MEMO
尾張徳川家分家高須松平氏の采地陣屋。
  • 竹佐陣屋の移築門
    光明寺 : 長野県飯田市久米311

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