紀伊 篠ヶ城



お城のデータ
所在地 和歌山県海南市孟子
遺 構 曲輪、土塁、石積、堀切
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ

 篠ヶ城は、北を高野街道、南を龍神街道が通る要衝の地大旗山に築かれている。 城までは、麓の観音寺から谷間に残る宝光寺跡を経て登るハイキングコースが整備されている。

 篠ヶ城は、紀伊国の南北朝時代の遺構が残る貴重な城だ。 大旗山山頂部に本城を置き、山頂から東と北に連なるそれぞれの尾根筋のピークに東出城・北出城を配した、南北朝時代の城としては規模の大きい城と云える。

 城の縄張り自体は、尾根筋を削平して段曲輪を設け、防備は切岸を多用したものだが、削平も甘く自然地形に近い曲輪すら在る。 一部に石積みや堀切の遺構も見られるが、これらは戦国時代に改修されたものだ。


歴     史

 篠ヶ城は、築城年代や築城者については諸説有り定かではないが、南北朝時代にの争乱期には既に築かれていた。 

 天授2年に南朝方が篠ヶ城に籠もり、これを北朝方の七条某が攻めている。 天授4年に山名義理が紀伊守護に就いて以後、有田郡から紀ノ川筋の南朝方の諸氏を平定していく。

 南朝方の拠点であった篠ヶ城も元中2年に北朝方に攻められ落城し、その後紀伊における南朝方勢力の終焉となった。


お城へのアクセス
鉄 道: わかやま電鉄貴志川線伊太祁曽駅〜徒歩約20分(登城口)
 車 : 阪和道和歌山IC〜県道143号線〜県道9号線〜県道138号線
駐車場: なし。


ひとくち MEMO
紀州の南朝方の拠点となったお城。

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