因幡 鹿野城



お城のデータ
所在地 鳥取県鳥取市鹿野町鹿野
遺 構 曲輪、土塁、石垣、堀、竪堀、堀切
形 式 平山城 築城者: 志加奴氏 築城年代: 不明


見 ど こ ろ
(現地案内板より)

 鹿野城は、亀井茲矩が建てた「オランダ櫓」・「朝鮮櫓」などの他城にはない名称の櫓があったことで有名だ。 これらの建物の遺構は何も残っていない。

 鹿野城は、城山山頂に天守曲輪を置き、北斜面に一二三段に曲輪を配した山城の縄張りと、山下の本丸・二の丸・西の丸(現光輪寺辺りか?)の大きく分けて二つの区画から構成された城だ。

 山頂の天守曲輪には天守台が築かれ、天守の礎石が今も残っている。 山下の本丸・二の丸(現鹿野中学校敷地)は、満々と水をたたえた堀に囲まれ、「お城」のイメージそのままの姿を今に伝えている。 


歴     史

 鹿野城の築城年代は定かではないが、志加奴氏の代々の居城であった。 戦国時代は、天神山城の山名氏と出雲の尼子氏・次いで毛利氏とのによる争奪戦くり広げられた。

 天正9年、鳥取城攻めの戦功により、亀井茲矩が13,500石を領して城主となった。 茲矩は、鹿野周辺の河川の改修と鹿野城の大改修を行い、鹿野城を近世城郭へと変身させた。

 元和3年、亀井政矩は石見津和野へと移封になり、その後寛永17年に元播磨山崎城主池田輝澄が甥の鳥取城主池田光仲に預けられ、鹿野1万石を堪忍料としてこの地に蟄居した。 輝澄没後、嫡子池田政直が嗣いだが、寛文2年に播磨福本に移封となった。

 貞享2年、池田仲澄が25,000石(後3万石)を分地され、10代続いて明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR山陰本線浜村駅〜バス/鹿野
 車 : 中国道作用IC〜国道373号線〜国道53号線/鳥取〜国道9号線
〜県道233号線
駐車場: 鹿野城址公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
「オランダ櫓」・「朝鮮櫓」などの他城にはない名称の櫓があったお城。

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