岩代 鴫山城



お城のデータ
所在地 福島県南会津郡南会津町田島字愛宕山
遺 構 曲輪、石垣、土塁、竪堀、横堀
形 式 山城 築城者: 長沼義秀 築城年代: 南北朝時代


見 ど こ ろ
(大手口大門と水堀)
(御平庭南西部の土塁と空堀)

 
鴫山城は、田島市街の西方に愛宕山に築かれ、全山が城塞化されている。 平成27年に落雷で山頂部の愛宕神社本堂が焼失してしまったが、この愛宕神社境内から石垣の遺構がある主水曲輪、そして御茶屋場と呼ばれる曲輪群までが「詰の城」的要素のある築城初期の遺構だと考えられる。

 鴫山城は、「詰の城」から北側の山腹・麓に向けて御花畑・上千畳・下千畳・御平庭と比較的広い曲輪が階段状に配置され、大手大門の石垣や空堀の遺構などは、戦国時代の長沼氏やその後に入った蒲生・上杉氏による改修されたものと推定できる。

 鴫山城の特徴と見どころは、何と云っても愛宕山北側に展開する曲輪群を「鶴翼の陣」の如く、東と西の両側から包み込むように山頂から伸びる尾根を利用して「外壁塁」と称する土塁と竪堀を築き、その「外壁塁」は麓の根小屋や侍屋敷辺りまでも続いている。 そして、要所要所に二重の土塁を設け、枡形虎口を設けるなどの防備を強化しているのだ。

 まるで万里の長城を連想するような縄張りは、幾多の山城を訪れたが、この城以外に見たことがなく、「本当にいいお城を見せて貰った。」


歴     史
(東外壁塁と竪堀)
(主水曲輪下の石垣)

 鴫山城は、応永年間に長沼義秀によって築かれたとされている。 長沼氏は、下野小山氏の一族で小山宗政が下野国芳賀郡長沼を領して長沼氏を称した。 長沼氏は、下野長沼庄以外にも陸奥南山に所領があり、7代義秀の頃には南山を本拠としていた。

 長沼氏は、その後代々鴫山城を本拠として南会津東部に勢力を誇り、葦名・山内・河原田氏と共に「会津四家」の一つに数えられた。 戦国時代になると、葦名氏の勢力が強まり長沼氏との抗争が続くが、永禄4年に長沼実国は葦名盛氏の軍門に降った。

 天正17年に葦名氏が伊達政宗に滅ぼされると、長沼盛秀はいち早く伊達氏に従い、伊達氏に抵抗した河原田盛次と戦っている。 天正18年、秀吉の奥州仕置きにより政宗が出羽米沢へと移ると、長沼氏もこれに従って鴫山城を去った。

 会津へ蒲生氏郷が入ると、鴫山城へは小倉作左衛門が城代となり、上杉景勝の時代には直江兼続の弟大国実頼が入った。 蒲生・上杉時代に大門周辺部が改修され「南山城」と呼ばれた。 寛永4年、加藤嘉明が会津に入ったのを機に鴫山城は一国一城令により廃城となった。


お城へのアクセス
鉄 道: 会津鉄道会津田島駅〜徒歩約10分
 車 : 磐越道会津若松IC〜国道121号
駐車場: 鴫山城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
城全体が鶴翼の陣を張っている様な縄張りのお城。

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