越後 新発田城



お城のデータ
所在地 新潟県新発田市大手町
遺 構 曲輪、櫓、櫓門、足軽長屋、石垣、水堀
形 式 平城 築城者: 新発田氏 築城年代: 鎌倉時代


見 ど こ ろ

 現在、本丸内は自衛隊の駐屯地になっているため、内部に入ることは出来ない。 しかし、三尾の鯱が付けられた独特の形をした天守(御三階櫓)が復元され、その勇姿を堀越しに見るだけで新発田城を訪れた喜びを感じる。 

 本丸の端正な切込はぎ布積み石垣の塁上には、北国特有の腰まわりが海鼠壁になっている天守に続いて、現存櫓の二の丸隅櫓(本丸鉄砲櫓跡に移築)と本丸表門(櫓門)、そして復元された辰巳櫓が並び、城好きにとってはゆっとりする光景がそこにある。

 新発田城は、新発田川の本流と支流を外堀として、東西に細長い地形を利用して築かれた城で、不等辺五角形の本丸を二の丸が取り囲み、その東側に三の丸が突き出したような曲輪配置の縄張りとなっている。

 本丸表門の外側には変形の馬出となっていて、土橋門がかつてあった。 その門跡脇には石垣と土塁の一部が残されていた。

 時間があれば、城下の溝口氏下屋敷(清水園)の庭園とすぐ側にある足軽長屋の遺構も一見の価値はある。


歴     史

 新発田城は、鎌倉時代に加地庄の地頭新発田氏によって築かれた。 以後、天正15年に揚北衆の重鎮新発田重家が謀反を起こし、上杉景勝によって滅ぼされるまで、新発田氏累代の居城であった。

 慶長3年、加賀大聖寺から5万石で入城した溝口秀勝は、新発田氏の古城に新たな縄張りで築城した。 秀勝は、越後春日山の堀氏の与力であったが、堀氏改易後独立した大名となった。

 二代宣勝は、弟善勝に沢海12,000石を分知して沢海藩を立て、三代溝口宣直は新田分を弟宣秋(切梅→岩代横田)、宣俊(池之端)、宣知(二ツ堂→無嗣子断絶)にそれぞれ5千石を分知した。 新発田溝口氏は、代々この地を領して12代直正の時に明治を迎えた。 万延元年、11代直溥の時に10万石に加増されている。


お城へのアクセス
鉄 道: JR羽越本線新発田駅〜バス/城趾公園前
 車 : 日本海東北道聖籠新発田IC〜国道7号線〜県道21号線
駐車場: 新発田城址公園の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
三層の天守が復元されたお城。
  • 大名庭園「清水園」と足軽長屋                                       
    清水園 藩主溝口家の下屋敷で純京風の廻遊式庭園がある。
    足軽長屋 木造茅葺き造りの八軒長屋(国の重要文化財)
    所在地 新潟県新発田市大栄町7
    入館料 年中無休 大人700円、小中学生 300円

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