丹波 篠山城



お城のデータ
所在地 兵庫県篠山市北新町
遺 構 復元御殿、曲輪、石垣、堀、馬出
形 式 平山城 築城者: 松平康重 築城年代: 慶長13年


見 ど こ ろ

 2000年4月1日、念願の篠山城大書院が完成して公開が始まった。 二条城大書院を参考にしながら復元工事が進められたとか。

 真新しい白木の柱、木の香りが鼻をくすぐる。 新築の書院・御殿とはこのようなものかと、普段年季の入った古い建物の遺構を見慣れているだけに感動しっぱなしであった。(もっとも長い年月、風雨に耐えた建造物には重みと深みがあるが・・・。)

 本丸部分は、二の丸から見ると低い石垣がめぐらされ、虎口が1ヶ所設けられている。 この本丸の隅に天守台が設けられている。

 この天守台、本丸内側から見ても結構な高さあるが、中学校のグランドからみ天守台の高石垣は、この城が天下普請によって築かれたことを良く物語っている。 ただし、天守台には天守閣は建てられなかった。

 篠山城は、馬出の遺構が残りことでも有名だ。 馬出は三の丸への3ヶ所の虎口に設けられていた。 大手と東馬出が石垣造りで、南馬出が土塁である。(内側は石垣が築かれていたが今はない) 大手馬出は、道路のため今はないが、道路沿いに石垣の一部が残る。 また、東と南の馬出は、今も形状を良くとどめている。

 篠山城は、城としては中規模の城ではあるが、城郭建築の技術が最高に高まった時期に、しかも天下普請として幕府の威信もあったのだろう、今に残る石垣群を見ていると、この城の堅固さを改めて認識させられた。


歴     史
(現地案内板より)

 慶長10年、常陸笠間より丹波八上城へ入った松平(松井)康重は、慶長13年に徳川家康の命により篠山に築城した。

 家康は、関ヶ原の合戦に勝利した後、豊臣恩顧の西国大名の勢力を削減して徳川幕府の確立のため、戦略の要衝の地に天下普請で築城した。 篠山城もその一つである。 篠山城以外に、膳所城彦根城丹波亀山城名古屋城越後高田城などの諸城がある。 

 篠山城築城には、普請奉行に池田輝政が命じられ、藤堂高虎の縄張りにより西国大名の天下普請で築かれた。 篠山城には、天守台が築かれたが天守は建てられなかった。

 城主は、松平(松井)康重は元和5年に和泉岸和田に移され、上野高崎より松平(藤井)信吉が入封した。

 その後、松平(藤井)2代・松平(形原)5代を経て、寛延元年に丹波亀山より青山忠朝が6万石で入封した。 以後青山氏は、6代に渡って居城し明治に至った。


お城へのアクセス
鉄 道: JR福知山線篠山口駅〜JRバス・神姫バス/二階町
 車 : 舞鶴道丹南篠山口IC〜県道299号線〜県道306号線
駐車場: 大手門前と二の丸に無料駐車場(約200台程度)


ひとくち MEMO
馬出の遺構が良く残る天下普請のお城。

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