越後 坂戸城



お城のデータ
所在地 新潟県南魚沼市坂戸
遺 構 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
形 式 山城 築城者: 不明 築城年代: 不明


見 ど こ ろ

 
坂戸城は、坂戸山山頂部に築かれ比高473mもの高さがあり、西麓にある平素の居館「御屋敷(御館)」から葛籠折れの城坂道を登る。(薬師尾根道もあるが本来の登城道は城坂道) 実城からの眺望は絶景だが、比高473mは結構辛いものがある。

 城の縄張りは、城坂道を登り詰めたところが「桃ノ木平」と呼ばれる上屋敷で水の手も近くにあり、この城の山城での居館スペースと云える場所だ。

 この曲輪の上が南北に伸びる坂戸山の尾根で、北端の主水曲輪から実城(本丸)まで、階段状の小曲輪が幾段も並び、北端の主水堀から5条の堀切も設けられている。

 実城南東部の腰曲輪から東に下る城道には2ヶ所野面積みの石垣遺構があり、越後の城で石垣が積まれた中でも本格的城で、天正年間の上杉氏時代の構築と考えられている。

 実城から南東に伸びる尾根筋には「小城」・「大城」と呼ばれる曲輪群があり、南東方面への見張りとこの方面からの攻撃に備えていた。 大城から眺める実城の姿は、その高さと堅固さかを実感することができた。 


歴     史
(主水曲輪の堀切)
(大城の土塁)

 坂戸城は、築城年代や築城者についてはは定かでない。 南北朝時代に南朝方の新田義宗らの勢力を駆逐した上杉憲顕が越後守護となり、長尾氏が越後守護代として越後に入封する。

 長尾氏は、三条長尾氏(後に府中長尾氏)が代々守護代を継承し、分家に古志長尾氏と上田長尾氏があり、長尾景実(諸説あり)が上田庄を領して上田長尾氏の祖となった。

 上田長尾氏は、関東管領の被官として南魚沼一帯に勢力を誇り、戦国時代に永正の乱が始まりると、上田長尾房長は永正9年に坂戸城を築き、その後天文20年にまで続く永正・天文の乱が終結するまで坂戸城の増改築が行われたと考えられている。

 天文20年、長尾房長・政景父子は越後国主となった府中長尾景虎(上杉謙信)の軍門に降った。 永禄7年に政景が没し、嫡子顕景は叔父上杉謙信の養子となり景勝の名乗り、春日山城へ移った。

 天正6年の御館の乱では、栗林政頼ら上田衆が坂戸城を守備し、三国峠を越えた景虎方の北条氏の援軍の進撃を阻止している。 慶長3年に上杉景勝が会津へと移封になり、堀直竒が城主となり3万石を領した。


お城へのアクセス
鉄 道: JR上越線六日町駅〜徒歩約15分
 車 : 関越道六日町IC〜国道253号線〜国道17号線
駐車場: 坂戸城の無料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
難攻不洛、険しい山頂部に築かれた上田長尾氏の本城。

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