伊予 大洲城



お城のデータ
所在地 愛媛県大洲市大洲
遺 構 復元天守、復元多聞櫓、現存櫓(4基)、曲輪、石垣、堀
形 式 平山城 築城者: 宇都宮豊房 築城年代: 元徳3年


見 ど こ ろ

 平成16年、大洲城天守が復元された。 天守は、明治21年に取り壊されたが、古写真や「天守雛形」と呼ばれる江戸期の木組み模型など豊富な資料を基に四層四階の複連結式天守が現代によみがえった。

 肱川対岸から天守を撮るも良し(この場合高麗櫓が写らない)、また、城の北西の肱川堤防から天守を見ると台所櫓と高麗櫓を従えた天守の姿を見ることが出来る。 復元天守といえど、高石垣の上に聳える天守の姿は、やっぱり見る者を魅了させる。

 大洲城は、肱川を東の外堀とし、本丸・二の丸・三の丸と一二三段に曲輪を配した典型的な平山城だ。 現在は、本丸と二の丸の一部が城址公園となっている。

 城の遺構は、復元された天守と多聞櫓で結ばれている台所櫓と高麗櫓以外に、二の丸東隅の肱川畔にある芋綿櫓、三の丸南隅櫓の4櫓が現存している。

 市役所の方の話によれば、現在でも三の丸南隅櫓は旧城主加藤氏の所有であるとか。 余計なお節介かもしれないが、漆喰の一部が落ちた櫓の姿が妙に痛々しかった。


歴     史

 大洲城は、元徳3年に伊予守護宇都宮豊房によって築かれた。 宇都宮氏は、喜多郡一円を領し大洲(地蔵嶽)城に居城した。 永禄2年、8代豊綱の時、土佐長曽我部氏に与して湯築城主河野氏を攻めたが、河野氏の援軍毛利氏に攻められ降伏、宇都宮氏は滅亡した。

 天正13年、豊臣秀吉の四国征伐後、大洲城には戸田勝隆・藤堂高虎が城主となり、慶長14年に淡路洲本から脇坂安治が53,500石を領して城主となった。 この3城主の間に、大洲城は逐次改修され近代城郭へと変貌した。

 元和3年、脇坂氏2代安元が信濃飯田に転封となり、伯耆米子より加藤貞泰が6万石を領して入封、以後代々加藤氏の居城となり13代泰秋の時、以後明治を迎えた。


お城へのアクセス
鉄 道: JR予讃本線大洲駅〜バス/枡形
 車 : 松山道大洲IC〜国道56号線
駐車場: 市民会館前の有料駐車場を利用。


ひとくち MEMO
四層四階の天守が木造で復元されたお城。

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