| お城のデータ | |||||
| 所在地: | 宮崎県日南市飫肥 | ||||
| 遺 構: | 曲輪、復元櫓門、門、書院、城壁、石垣、堀 | ||||
| 形 式: | 平山城 | 築城者: | 土持氏 | 築城年代: | 正平年間 |
| 見 ど こ ろ | ||||
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飫肥は、明治維新後に藩主伊東祐帰が住んだ豫章館や藩校振徳堂などもあり、武家屋敷の町並み保存が行われ、今も城下町の風情が漂う街だ。 この街の中心は、もちろん飫肥城だ。 飫肥城は、大手門(櫓門)が復元されていて、大手門前には空堀が往時のまま残っている。 大手門から資料館のある中の丸へ。 石垣と白壁の城壁が、大手門からの進路に立ちふさがるように築かれている。 中の丸から一段高くなった小さな曲輪松尾丸には、書院が復元されている。 本の丸は、中の丸西側に一段高く築かれていて、本の丸への石段を登ると枡形虎口となっていて、この辺りの石垣は見応えがある。 また、本の丸北側に城門が復元されていた。 |
| 歴 史 | ||||
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飫肥城は、築城年代は定かではないが正平年間に土持氏によって築かれたと云われている。 室町時代後期・戦国時代になると、島津氏が所領する飫肥城をめぐって伊東氏と島津氏が攻防を繰り返し、永禄11年に都於郡城主伊東義祐が攻め取り、次男祐兵を城主とした。 天正5年、島津氏の勢力が強まり、ついに伊東義祐は豊後大友宗麟を頼って日向を去り、飫肥城は再び島津氏の所領となり上原長門守が城主となった。 天正15年、豊臣秀吉の九州征伐後、伊東祐兵が秀吉より飫肥57,000石を与えられ日向に戻ることとなった。 以後、明治まで伊東氏はこの地を動くことなく14代続いた。 貞享元年、5代伊東祐実のときに大地震で飫肥城は損壊した。 城の復興時に現在残る石垣も築かれ、近世城郭へと改修された。 |
| お城へのアクセス | |
| 鉄 道: | JR日南線飫肥駅〜バス/飫肥城下(バス路線詳細 宮崎交通のHP) |
| 車 : | 宮崎道田野IC〜県道28号線〜県道430号線 |
| 駐車場: | 飫肥城の無料駐車場を利用。 |
| ひとくち MEMO | ||||||
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